閑中八策
暴力団対策法とフーテンの寅さん
 東京の上野、浅草あたりは観光スポットである神社仏閣が多く、年中屋台が出ている。
 近年、この屋台風景に深刻な変化が起きている。

 地方でも神社の縁日などの時だけ屋台がずらりと並ぶ光景は残っているだろう。
 ここから先は首都圏限定の話になるので、他の地方ではどうなのか、知っている人がいたら教えてもらえるとありがたい。

 現在小さな神社や商店街の夏祭りなどのイベントで屋台を出しているのは、その地元の商店街組合や町内会というケースが増えている。
 だから食べ物の屋台しかない。金魚すくい、射的、水風船釣りなどの遊戯の屋台が一軒もない場合がある。

 これは近年の暴力団排除運動の副産物である。
 本来ああいう屋台は「テキヤ」と呼ばれる、その道のプロの団体が出していた。
 ところが首都圏ではテキヤ団体が「暴力団の周辺関係者」とみなされて、警察が商店街やイベントの主催者に出店を認めないように指導しているのだ。

 歴史的にはヤクザとテキヤは別物と認識されてきた。確かにテキヤは親分子分の関係でつながった集団が「一家」を成し、ケンカ等のトラブルには物理的実力行使で介入するという特徴がある。
 この点でヤクザ組織と似た点があった事は否めない。

 日本映画の名作「男はつらいよ」シリーズの初期の作品では、寅さんが中腰の姿勢で右手を前に伸ばし「てまえ、生国は葛飾、柴又……姓はクルマ、名はトラジロウ。人呼んでフーテンの寅と……」というセリフを披露する場面がある。
 あれは昔のテキヤ同士の挨拶の流儀で、ヤクザ社会と共通する文化をテキヤが持っていた事を表している。
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