閑中八策
入れ墨とタトゥー
 大阪市役所の入れ墨職員の問題が話題になっている。
 若者の間でいわゆるファッション・タトゥーが流行っている現状から考えて、どこまでが許容範囲か?という問題がいずれ出てくるだろう。

 さて橋下市長の上げ足を取るつもりはないが、言葉の定義を再考しておこう。
 まず歴史的には今大阪で問題になっている物は「彫り物」であろう。「刺青」と書いて「いれずみ」と読む類の物だと思う。

 本来「入れ墨」という言葉は江戸時代に刑罰の一種として始まった物を言う。百叩きの刑などで放免される場合に腕にぐるりと黒い線を入れ墨で入れた。前科者である事が一目で分かるようにしたわけだ。

 その後、島流しから戻った前科者がまた罪を犯すケースが増えたので、最初の刑期満了で一本、次に刑期満了で釈放される時にまた一本。江戸の場合、三回目に捕まったら即打ち首、つまり死刑。
 つまり再犯の回数が一目で分かるようにしてあったわけだ。

 西日本ではどうか知らないが、東日本ではこういう装飾性も何もない前科者の目印としての黒い線が「入れ墨」と呼ばれた。
 背中一面にたとえば龍虎、観音像などを色とりどりで彫り込む物は、関東では「彫り物」と呼んで入れ墨と区別した。

 西日本では彫り物の事を「刺青」と書いて「いれずみ」と読む事が多かったと記憶している。
 これは中国から伝わった習慣だろうと推測される。
身体装飾としての入れ墨、今で言うタトゥーは古代から中国でも盛んだった。
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