閑中八策
天皇陛下の終活
 最近「終活」なるものが流行っているそうである。
 自分が死んだ時、葬儀のやり方とか、お墓をどうするとか、遺産をどうするとか、そういう事を生きているうちに書面で残しておいて、送る者が困らないようにするという事だ。当分死にそうにない頃からやっておくので遺言とはまた違う。
 これがビジネスにまでなっているとか。

 さて、民間の動向に影響されたわけではあるまいが、天皇陛下が自分の崩御の際の事を公言されたという事で、ちょっとした話題になった。
 火葬して、葬儀はなるべく費用をかけず簡素に、とおっしゃったそうである。この不況で国民が苦しい中、民に負担をかけるな、というご意思なのだろう。

 天皇皇后の墓は御陵(ごりょう)、あるいは陵(みささぎ)と言って、古来は巨大な人工の丘を作ってその奥に遺体を土葬にした。
 仁徳天皇陵なんかは丘を通り越して山と言ってもいいぐらい巨大だ。

 ただし歴代の全ての天皇に御陵が造られたわけではなく、武士の時代になって朝廷の政治的影響力が低下した時代から、塔や御堂で代用したケースも多い。
 特に江戸時代は15代の天皇のうち、御陵が造られたのは最後の孝明天皇だけで、他は全て石の塔か御堂である。

 明治時代以降、天皇が名実ともに日本国の元首に戻ったため、また大規模な御陵が造られるようになった。
 明治天皇はまだ京都とのつながりが深かったためか、御陵は京都の伏見にある。が、東京に何もないのはどうか?という事で明治神宮が建立された。

 大正天皇と昭和天皇は生まれも育ちも首都東京であったからか、御陵は東京都八王子市の武蔵野陵という場所に、丘型の御陵が建立された。それぞれの皇后の御陵もすぐ横にある。
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