閑中八策
そもそも人口の何パーセントが高等教育を完全に身に着けられるかは、いつの時代も決まっているという学説もある。
確かに読み書きも出来ない文盲が多いと国は成り立たないし、能力があるのに貧しいから進学できない国民が大多数を占めるという社会は問題だ。

戦前の日本はまさにそういう社会で、その状態から高等教育修了者を増やそうというのなら分かる。
だが今の日本は既に、アルファベットが書けない、中学レベルの漢字が読めない、分数の計算ができない、という学生が多数派の「底辺大学」の存在が問題になっている。

そんな高校生でも大学に入れる状態で、高校生の学力を等級で分けて、その結果で大学受験資格を認める、認めない、という制度を導入したら、大学に入れる若者のパーセンテージは逆に下がるんじゃないのか?

若年世代の失業率が下がるなんてのは、ジョークにしか思えない。
大学進学率が既にこれだけ上がっているが、結果はどうなっている?
それなりの企業から「相手にされる大学」と「ハナもひっかけてもらえない大学」に二極分化しているではないか?

後者の大学を卒業した人だと、なまじ四大卒という肩書が邪魔になって就職先をえり好み、高望みする。
その結果、就活に失敗したと言って自殺する大学生が増えるという現象と、中小企業が人手不足に悩んでいるという現象が同時に起きている。
民主党の「改革」はこの馬鹿げた現実に拍車をかけるだけだ。

大学制度を改革するなら、むしろアメリカを見習うべきだ。
アメリカと言うと日本と同じ学歴社会のイメージがあるかもしれないが、アメリカの大学進学率は2005年時点では50%に届いていない。
アメリカのエリートが優秀なのは大学院卒が多いからだ。

アメリカの場合、高校の段階から一流と言われるのは私立なので、公立高校を卒業する人が圧倒的に多い。
だが、アメリカの高校での履修内容は、公立の場合、実は日本の中学卒程度なのだ。
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