マスカケ線に願いを
それは甘い麻薬。
人の心を盲目にさせる、毒薬。
「杏奈、どうした?」
「え?」
ユズに話しかけられて、私ははっと我に帰った。
「手、止まってるぞ?」
包丁を握った手が、止まっていた。
「あ、ごめん。ちょっと考え事してた」
「珍しいな、杏奈が何かの作業中に別のこと考えるなんて」
ユズは料理をしている私を眺めながら、不思議そうに首をかしげた。私は曖昧に笑った。
「私だって考え事くらいするよ」
「でも、包丁持ってるときくらいは集中しなきゃ危ないだろ」
「ごめん」
私は包丁を握りなおした。
今、私、何を考えていたっけ。
なぜか私は、ぼんやりしていた理由を、思い出せなかった。
「ごめん、お腹すいてるよね。今、さっさと作っちゃうから」
「おう」
私は気を取り直して、具材を切り始めた。そして程なくして、ビーフシチューができあがる。
「なあ、杏奈」
「うん?」
出来上がった料理を二人で囲んで食べているときに、ユズがふと真剣な顔で私を見た。
「どうしたの?」
「なあ、一緒に暮らさないか?」
そのユズの申し出が、私の心に波紋を呼ぶきっかけとなった。