絡む指 強引な誘い 背には壁 Ⅲ
 話していても、今は溜息しか生まれない。
「…………、帰るわ……。私、明日仕事だし。明日、いる?」
「明日は休みだ。明後日なら昼からいる」
「そう……。明後日、あなたを呼んでもいい?」
「ああ、どこかの受付に言えばいい。11時には来ておく」
「分かったわ……」
 ゆっくりと、ロビーを横切り、入ってきた夜間受付の前を2人で通りすぎる。
「ありがとう、色々」
「やっぱり身内が危険だと思うと、違うな。仕事とプライベートの差は大きい。どちらも最善はつくすが」
「うん、分かるよ」
 珍しく正直に話しているようだ。よほど、阿佐子の死の覚悟をしているのだろう。
「元気にしてたか?」
「え、うん、まあ。今日仕事さぼってディズニーランドに行ったけど、それも良かったよ」
 何も考えずに言った。
「そうか、あんまりさぼるなよ」
 榊が言うのは、心配しているからではない。単なる相槌。
「分かってる。じゃあね、おやすみ」
「おやすみ」
 昨日わりと寝たはずなのに、既に9時過ぎで体の疲労が眠気へと変わってきていた。
 今から新東京マンションに行っても、巽には会えない。携帯に電話してもきっと出てはもらえない。
 いっそのこと、マンションの風除室で待っていようか……。朝方には帰って来るだろうから、出社前までには会えるはず。
 それで帰って来なければ、朝5時に家に戻り、シャワーを浴びて、自車で出社しよう。
 そう決めて、三度タクシーに乗り、新東京マンションで降りる。
 巽の側で眠ることに一体どれだけの価値があるのか、自分でもよく分からないまま、とりあえず風除室に入り、暗証番号を入れるモニターの前に立ち尽くした。
 暗証番号……、全く思い出せない。
 30秒ほど考えて、諦め、一度外に出た。
 ここで待っていたって会えるとは限らない。
 アクシアに行ったって、いない。
 それ以外立ち寄りそうな場所は知らない。
 自分は巽に何を求めているのだろう。
 目を閉じる。
 目を閉じていることが心地よく、自分が疲れていることを改めて感じた。
 時刻は10時すぎ。出ないと分かりつつ、仕事の邪魔になるかもしれないと思いつつ、香月は、巽の携帯を鳴らしてみる。
 やはり、7回目のコールでも出ない。
 帰ろう。
 おうちに。
 誰かに迎えに来てほしい。そう思っても仕事で忙しいとぼやくユーリを呼ぶのは気の毒だ。
 香月は仕方なく歩き始め、また大通りに戻ると右手を挙げた。
 タクシーが停まってくれるのは、その方法しか知らない。
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