絡む指 強引な誘い 背には壁 Ⅲ

「そんな（笑）、僕は早く結婚したいですよ。弁当もって会社行きたい」
「それいいですよねー」
　成瀬を見上げる香月の生き生きとした表情が眩しくて、つい目を細めてしまう。
「香月さん自分で作ればいいじゃんか（笑）」
「時々思うんですよ。ほんと、真籐さんにここまで乗せてもらうときとか、せめて私がお弁当でも作ってあげれば……こうなんか、いいのになあって思うけど……なかなか（笑）」
「その女性らしさって本当は難しいんだねー（笑）」
「……」
　ああなんだ、真籐とデキてたのか。
　そりゃ納得だ。真籐は副社長の息子でこの上ないイケメンときてる。そんじょそこらの奴とは毛並みが違うことは、一目瞭然だ。
「ああ、そういえば、真籐さんと同居してるんだったっけ……？」
　そんな噂を聞いたはず。
「はいそうです。真籐さんってすごいんですよ。休みの日でもちゃんと料理作ってくれて、食べるの待っててくれてるんです」
「主婦だよねえ、素晴らしい」
　あのプライドの高い真籐が手料理を披露するなど想像もできないが、香月が相手とならば、何がなんでも離したくない気持ちにはなろう。
「へえー、あの真籐さんが？　すごいな……」
「しかも出してくれるのがビーフシチューとか、ほんと高級レストランみたいなのばかりで！　カレーとかハンバーグじゃないんですよ。なんか、セレブな主婦だなあっていつも思います」
　恋人関係をそこまで公にしているとはまさか思いもしなかったので動揺し、「セレブだなあ」と、抑揚もなく言ってしまったことをすぐに後悔する。
「僕もまず自分が料理しよ」
　成瀬はただ前を向いて歩き続ける。
「一緒に料理教室行きましょうか？」
　若い奴らと話すのは楽しい反面、羨ましくも憎くもある。今日帰ってまた、一人で食事をして家族の洗い物をして、風呂に入って洗濯物を回して干して。妻が夜勤から帰って来るまで寝る。今年下の娘が小学校に入ったのを機に、ずっとしたかったナース業を完全復帰させてからは大変忙しい毎日を送っている。夜勤は週に二度。そんなに仕事をしなくても、家庭は充分やっていけるはずだったが、子供の将来もあるので金があることにこしたことはない。　しかし、それ以上に本人の仕事に戻りたいという信念の強さが先にあった。妻はずっと子供が小学校に上がることを待ちわびていた。
　忙しく、疲れている夫が帰ってくるのをとても羨ましそうに見る目に、溜息をついたこともあるが、それでも、自分のやりたいことがあるのならそれに超したことはないと、思えるようになったのである。