桜うらうら
桜うらうら

 私は、桜の木の下で拾われました。

 見頃の季節を終え、木の下には散ってしまった花びらが引敷物のように地面を覆っています。ちょうど通りかかった村長(むらおさ)が、布にくるまれた私を拾ってくれたのだそうです。拾われた私は、泣きもぐずりもせず、じっと村長の目をみつめていたのだと、目尻の深い皺をさらに濃くして話してくれたのです。

 村長は、私に「さくら」という名前を与えてくれました。皺だらけの指を握る小さな手も、頬を桃色に染める様子も、なにより桜の木の下で初めて私を見つけたときは、桜の精かと思って、息をのんだそうです。そんな背景があり、村長は迷うことなく名無しの私に命をくだすったのです。

 還暦をとうにすぎた村長は、それはそれは不器用に、しかし大切に育てました。妻と死別し、子供を抱えたことなど一度もない村長にとって、子育てはとても難しかったと言います。私が赤ん坊の頃など、泣き出してはうろたえ、隣の家のおかみさんに、今度は村長が泣きついたのだそうです。そんな村長を見てため息をつくおかみさんの呆れた表情を想像するのは易いです。

 そうして、私はたくさんの人々の手で育ててもらえたのです。

 私はなんて幸せ者なのでしょう。

 しかし、ややあって物心がついた頃でしょうか。村の者たちは、私を見てあからさまに怯えた目を向けるのです。なかには面と向かって心ない言葉を吐き捨てる者もいました。すれ違い、距離が開いた途端、こそこそと口に手をあて陰口を囁かれることなど、日常茶飯事でした。

 けれども、悲しい顔はできません。

 なぜなら、暗い顔をした私を見て、今度は村長が悲しい顔をするからです。背の曲がった村長は、とても小さいです。ですが、悲しい顔をした村長は、もっとずっと小さく見えてしまいます。私は、自分が陰口を言われるよりも、祖父であり父であり、そして母でもある村長が小さくなるその姿が一番悲しいのです。

 なによりも、みなが不気味だと顔をしかめる私を、「やっぱりさくらは花の精じゃ!」と子供のように目をきらきらさせてはしゃぐものだから、よけいに私は悲しんでなどいられません。
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