エゴイストよ、赦せ
ここ数年間、何度も見ているその光景を思い浮かべながら、僕は彼女と話をする。


綺麗だ、と言う彼女の言葉に頷きながら、けれども、本当はそんなふうには思えない自分に、静かに溜息を、どこかで諦めを。

そうしてから、息を殺して、そっと自分も殺して、綺麗だ、と言い聞かせる。

綺麗だ、と声にする。


夜になると、ライトアップされた桜が浮かび上がっていて、それを大勢の花見客が見上げていた。


僕は逆だったけれど。


僕は電車の中からひとり、それを見下ろしていた。

そして思い出すんだ。

兄が花見に連れて行ってくれた日のことを。

兄の彼女とか、友人とかが居て。

楽しかった気がする。

けれど、ただ、それだけ。

それ以外のことは、すべてがもう、思い出ですらない。


さらさらと舞い散っていたあの日の、桜の色が思い出せない。

笑っていたはずの、みんなの顔が、声が、思い出せない。

あの春の風景は、すっぽりと抜け落ちたままだ。

灰の色と、すすり泣く声だけを、僕は憶えている。
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