抹茶な風に誘われて。~番外編集~
「しかし困ったな……愛妻一筋のこの俺を、これほど巧みに誘うとは。妻のいぬ間に、ひと夏の情事、と行こうか? お嬢さん」

 いたずらっぽく囁くなり、首筋に唇を押し付けて、本人曰く『愛妻一筋』らしい彼は続ける。

「おかしいな。シャンプーの優しい香りに、やわらかな肌の感触。それにふわふわ風になびく髪の色まで瓜二つだ。悪戯のつもりが――こんなに似ていちゃ、本気になっても仕方がない」

「静さ……っ」

 悪ふざけが過ぎると、眉を寄せて見上げた。抗議しようとしたところに、顎をくいと引き寄せられて息を呑む。

 すぐ目と鼻の先の、綺麗なグレーの双眸に吸い込まれてしまいそうで、声が出なくなった。

「――ああ、やっぱり俺の見間違いか。こんなに愛らしい女が、他にいるわけがなかった」

「……?」

「ただいま――奥さん」

 ふっと微笑んで、伝えられた一言。そのまだ聞き慣れないのに、温かで優しい響き。ずっとずっと憧れていた幸せな挨拶は、私の体から全ての抵抗を奪っていく。

「……おかえりなさい、静さん」

 笑い返しただけなのに、静さんは一瞬瞳を瞬かせ、それから嬉しそうに私の頬に触れる。

「くそ、挨拶だけじゃ済まなさそうだ。お前はやっぱり俺を誘惑する天才だな」

 意味のわからない返答に、小首を傾げる私。そんなことはお見通しなのか、それとも気にしないのか、静さんは私の肩に腕を回した。

 途端に体が密着して、ドキドキが増してしまう。名前を呼びかけた唇に人差し指を当てられ、言葉を封じられて――囁きついでに、キスされた。最初は耳たぶに、次にうなじに、それからゆっくりと首筋を辿って、鎖骨にまで。

「だ、だめ、です……静さ、」

 吐息混じりに抵抗しようとしても、敵うわけがなかった。

「かをる」

 キスの合間に、愛しげに呼ばれてしまっては、逆らえるはずなんてないのだ。
< 64 / 71 >

この作品をシェア

pagetop