白き薬師とエレーナの剣
 外へ出ると、日はまだ山際から顔を出しておらず、吐く息はうっすら白く、ぶるりと身が震えてしまう。

 いずみは両手に温かい息を吹きかけながら、城の真後ろに広がる大庭園へと足を向ける。
 城に近い花壇には色とりどりのバラが咲き誇っている。だが、隅にひっそりと佇む温室の周りにある花壇は、小さな芽が疎らに生えているだけで、何とも殺風景だった。

 一通り辺りを見渡し、草の芽の様子を伺う。
 どれも弱った形跡はなく、小さいながらも頼もしく地に根付いている。
 いずみは安堵の息をつき、一人小さく頷いた。

(根付くかどうか分からなかったけれど、育ってくれているみたいで良かったわ)

 キリルたちが里から運んできた稀少な薬草を育てるため、この一角とガラス張りの温室を与えられている。
 気候も土壌も違う場所で育つのかと不安だったが、種子たちは慣れない環境にめげず、懸命に芽吹いてくれた。

 より多くの人々を助けるための大切な材料。
 それを活かすことのできない状況がもどかしかった。

(……いけない、ティックの花を摘まなくちゃ)

 いずみはハッと我に返って小走りに温室まで向かうと、ガラスの扉に手をかけ、そっと押し開ける。
 開けた隙間から、温い空気がいずみの頬を撫でていく。
 外の寒さを入れないよう素早く中に入って扉を閉めると、入口に置かれていたカゴを手に取った。

 温室の前半分は、自分が植えた寒さに弱い薬草や苗木たち。そして後ろ半分は、元々育てられていた植物たちが陣取っていた。

 下を向いて薬草たちの様子を伺いながら、いずみは奥の方へと進んでいく。
 観賞用の草花が並ぶ中、黄色い花をつけた低木――ティックの前で足を止めると、腰を屈め、丁寧に花を根元から摘み取り、カゴの中へと入れていった。

 六枚の細長い花弁を持つこの花は、胃腸薬として重宝されている。
 トトいわく、城で働く人間に一番求められるのが胃腸薬だった。
 城にいるだけでも心が圧迫される上に、狂王の言動にビクビクしながら過ごす現状。それらが城内にいる者たちの体を蝕んでいるのは、目に見えて明らかだった。

 花を十ほど積み終えてから、今度は自分が必要としている薬草を摘もうと腰を上げる。
 その直後、キィィという高い音が入口から聞こえてきた。

「やっぱりここにいたか、エレーナ」

 水月の声だと分かり、いずみの口元が綻んだ。

「ナウム、おはよう……えっ?」

 振り向いて水月の姿を目にした途端、いずみは目を見張る。

 白金の髪に、雪にうっすら夕日が射したような肌と暗紅の瞳。
 肌と瞳はいずみと同じ色だったが、水月の望みで髪はより色味が抜けるように薬の調合を変えている。

 色白だからこそ、大きな穴に落ちたかのような土汚れとすり傷が、際立って見えた。

 いずみは慌てて近くにあった薬草の葉を数枚摘んで、水月へ駆け寄った。

「大丈夫?! ちょっと待ってて、すぐに手当てするから!」

「大げさだなあ、エレーナ。これぐらいの傷、ガキの頃に何度も作ってるぜ」

 血相を変えるいずみとは反対に、水月は平然と笑い飛ばすと、手を差し出した。

「こんな傷ぐらい自分で手当てできるから、その薬草をくれよ」

「駄目よ、すり傷だからって甘く見ちゃいけないわ。貴方にもしものことがあったら……」

 確かに水月の言う通り、どの傷も浅い。けれど、万が一の事態になる可能性も少なからずある。
 ほんの少しの油断から、水月を失いたくはなかった。

「まずは汚れを落とさなくちゃ。ほら、あっちに行きましょ」

 いずみは最奥にある小さな長方形の貯水池を指さし、水月に移動するよう促す。
 一瞬彼の目は泳いだが、「分かったよ」と苦笑すると、貯水池のほうへと移動してくれた。いずみも隣に並び、歩幅を合わせて歩いていく。

 貯水池の前で水月はしゃがみ込むと、手を伸ばして隅に置かれていた木桶を取って水を汲み、頭からかけて髪と顔を洗う。
 ひと通り汚れを落としてから何度も手で拭って水滴を落とし、彼は近くの花壇の縁に腰かけた。

「ナウム、ちょっと顔を上げてもらえるかしら?」

 いずみに言われるまま、水月が傷だらけの顔を向けてくる。
 優しく指先を滑らせて傷の具合を確かめると、いずみは持っていた薬草を一枚折り曲げる。
 そして、じんわりと滲んでくる白い汁を指につけて傷口に塗った途端、水月から小さな呻き声が漏れ出た。

「痛っ……結構しみるな」

「最初だけよ。すぐに落ち着いてくるから」
< 39 / 109 >

この作品をシェア

pagetop