白き薬師とエレーナの剣
 辺りを見渡してから、水月が間を詰めてくる。そして声を潜めて話し出した。

「あの人、まったく隙がなかったぞ。気さくそうに振舞っていても、厳しい目でオレたちを見ていやがった……恐らく、あの王子様はキリルたちと同じ側の人間だ。少しでも害があると判断したら、躊躇いなく斬り捨てるだろうな」

 水月の動揺や畏れが伝わってくるのに、そうだと頷くことができない。
 いずみは首を横に振りながら「イヴァン様は違うと思う」と呟いた。

「威圧感もあるし、すごく厳しそうだと思うわ。でも、うまく言えないんだけれど、私みたいな立場のない人であっても、真剣に向き合っていらっしゃる気がするの。キリルさんや陛下のように利用価値のある物としてじゃなくて、人として見てくれる……すごく温かみのある方だわ」

「温かみがある、ねぇ……エレーナがそう言うなら、そんな一面もあるってことか」

 独り言のように水月が言葉を漏らすと、大きく肩をすくめた。

「ところで、イヴァン様にまた花束を頼まれたのか?」

「ええ。あと、これからも作って欲しいってお願いされたの。またいつここへいらっしゃるか分からないけれど、これから何度も顔を合わせることになるわ」

 勝手に判断して良かったのだろうか? 取り返しがつかないことをしていないだろうか?
 不安を拭うことができず、いずみは縋るように水月を見上げる。

 しばらく口元に手を当てて考えてから、水月は何度か頷いた。

「王子様から直々に頼まれたんじゃあ、引き受けねぇ訳にはいかないもんな。断っていたら、変に怪しまれていたかもしれねぇし。良い判断だったと思うぜ」

 ホッといずみが胸を撫で下ろしていると、水月が「でも」と言葉を続けた。

「イヴァン様は陛下に不満を持っているから、陛下の不老不死を面白く思っていないハズ。エレーナが『久遠の花』だって分かったら、必ず排除しようとするぜ。顔を合わせる時は絶対に気を抜くなよ」

 水月に念を押されなくても、充分に理解できる。
 厳しい人だからこそ、きっとこちらの正体に気づけば、国を乱そうとする敵とみなすのだろう。

 あの不敵で、どこか悪戯めいた少年のような笑顔が消えてしまうことが怖かった。

 いずみは口をキュッと横に引き締めると、ゆっくり頷いた。

「絶対に気付かれないようにするわ。今ここで居なくなる訳にはいかないもの」

 覚悟とともに、いずみの顔が強張りそうになる。
 水月が、ポンポン、と軽く弾ませるような手つきでこちらの頭を叩いた。

「そんなに意気込まなくてもいいぜ。エレーナは何も考えず、いつも通り素直にしていれば大丈夫だ」

 素直、という言葉を聞いて、水月の兄バカ発言を思い出してしまう。
 いずみは水月の手をやんわり掴むと、わずかに顔を突き出した。

「ナウム……お世辞でも可愛いって言ってくれるのは嬉しいけれど、あんまり言わないで。恥ずかしいから……」

 一瞬だけ水月が目を見開いた後、ククッと小さく喉で笑う声がした。

「イヴァン様はどうか分からねぇが、オレは別にお世辞で言った訳じゃないぞ? 心に思っていないことを並べ立るだけ嘘臭くなるからな」

 やっと落ち着いてきた照れが煽られ、いずみの顔に再び熱が集まってくる。
 まともに顔を見ることができなくて視線を下に外していると、水月の影が頭を掻いているのが見えた。

「ま、まあ、エレーナがそう言うなら、次からはもう少し手加減していく。……あっ、そうだ。これから街に買い出しに行くんだが、何か必要な物はあるか?」

 水月のたどたどしい話しぶりと気遣いが微笑ましくて、いずみの頬が緩んだ。

「んー……今のところ大丈夫よ。わざわざ聞きに来てくれてありがとう、ナウム。今日も無事に戻ってきてね」

「ああ、もちろんだ。できるだけ早く帰ってくるから、寂しがらずに待っててくれよ」

 そう言うと、水月は軽く手を振りながら、小走りに温室を出て行った。

 扉が閉まり、足音が遠ざかって消えていく。それでもいずみは水月の向かった先をぼうっと見つめ続けた。

 ふと脳裏に水月の声がよみがえる。

『自分に似ていたら、こんなに愛せなかった自信がありますよ』

 あの時言ってくれたことが水月の本心だというなら――。
 しばらく考えてから、ポンと手を叩いた。

(そっか、水月は心から私を身内として愛してくれているのね。……私と同じなんだ)

 血の繋がりはなくとも、正体を隠すための嘘だとしても、水月は心が繋がり合った大切な家族だと思っている。

 自分と同じ気持ちなのだと分かり、いずみの中で水月の存在がより心強いものへと変わっていった。
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