barqueにゆられて



 そう、私は職場の男性に恋をしてしまった。
 私はそこそこの出版社に勤務していて、編集部所属の私の今の担当はインテリア雑誌「エヴァール」のインテリア術紹介コラム。この会社に入って四年しか経っていない私と同じ部署でイケメンなオシャレさんと言えばただ一人…
 「壱岐。どうだ、企画はまとまったか?」
 ――今正に私を見下ろしている、古橋斎(いつき)さん、三十二歳独身。
 心配してくれているのか、いい加減にしろと思っているのか。どちらにしても声を掛けてくれたのが私にとっては嬉しいことこの上ないのだけれど、見事に目の奥が笑っていらっしゃらないわ。ああ何て冷たいお顔。
「その、すみません、大体固まったんですけど、どうしてもイマイチというか……」
 すっと通った鼻筋。大きな瞳に吊り上がった目じり。唇は桜色。少し機嫌が悪くなるとその艶のある綺麗な下唇をわずかに噛む癖がある。
 洋服の趣味はシックかカジュアルを好むらしく、ブランドはアズールかザラ、ユナイテッドアローズ。夏は時々ユニクロで涼しく過ごしていることが多い。ブランドにこだわりはない彼のファッションだけど、何着ても様になるってある意味才能だと思う。
 口では色々と言葉を並べているけれど実際は頭の中はそんなことで一杯。今古橋さんに頭の中覗かれたら、怒鳴られるだけじゃすまないわ、きっと。でもその綺麗なお顔に目が行くのは仕方がないじゃない、と開き直ってみる。
 古橋さんは腕を組んで小さく溜め息を吐いた。ああなんて色っぽいの。これが三十二歳男性の溜め息だなんて反則だわ。どんなにしかめ面でも、どんなに眉間に皺が寄っていても愛しいものね。
「初めて任された大きな仕事とは言え、締め切りは守ってもらわないと困る」
「……はい。どうにかして形にはします」
「あまりに雑だと採用しない。覚えているな」
 少々口調が厳しいのは仕事に対して真面目で真剣である表れ。だから彼への信頼は厚いし、そんな彼についていく人は私以外にも沢山いる。少々強引なやり方をして反感を買うこともあるようだけれど、自分の意見をはっきり言うことの出来る彼の真っ直ぐなところに、私は惹かれたんだ。
 「……お前の中で何がそんなに納得がいかないんだ」
 そして、後輩たちが迷っていたり悩んでいたりすると、こうしてさり気なく聞いてくれるのが彼の精一杯の優しさ。不器用な彼らしいと私は思う。
 私はその言葉に少しだけ肩の力を緩めた。
 正直、この企画を貰ってから私はずっと悩んでいて、溜め息が多くなっていたのも事実。
 パソコンに向き直り、マウスを動かす。



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