桜の咲く頃に
「……」
 無言の阿梨沙の目が遠くを見ている。
「でも、僕はこのままで構わないんだ、阿梨沙は、僕が心を許せる唯一といっていい相手だから。君に巡り会えたことだけで、生きててよかったと思ってる。君の知ってるように、僕って人に心が開けないっていうか……人とうまく関われないから……」
「それはお互い様よ。あたしだって涼平君ぐらいしか心許せる相手いないから……ところで、4月からクラス替えだよね。同じクラスになったりしたらどうしよう? 仲良くしてることみんなにばれたら、いやがらせされるかも……」
「何言ってんだよ。阿梨沙が空手やってることくらいみんな知ってるから、下手に手を出してきたりしないって」
 やがて話が尽きる頃には、夕闇が校舎に忍び込んでいた。
 二人は教室を出て、薄暗い、長い廊下を進んでいく。
 曲がり角や階段の脇に何か潜んでいるような気がして、阿梨沙は背筋に薄ら寒いものを覚えた。
 校舎を出て、校庭の片隅を並んでゆっくり歩く。
 二人の足元から長く伸びた影が夕闇に同化していく。
 校庭や体育館や校舎から、遅くまで部活を続ける生徒たちのかけ声や楽器の音が、聞こえてくる。
 阿梨沙の栗色の長い髪が風に吹かれてさらさらと舞う。
 怪しく薄紫色に染まった空を背にして、淡紅色の桜の花びらが弱々しく揺れていた。
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