デュッセルドルフの針金師たち前編
第4章ドイツへ南下

アウトバーン

生活も少し落着いてきて日本に電話を入れた。
広島の義兄の実家とくるみと勝秀に連絡した。その結果。
300ドルを持ってくるみがウィーンに来ることになった。

9月下旬だ。3週間のバイトも終わり、その日に合わせて、
修理した車に画家のおじさんに浮世絵のペインティングを
してもらい、そのおじさんと一緒にウィーンへ下ることになった。

出発の日、ユースの前で皆が見送ってくれた。
黒人学生とは「ヘイユウ!」と言っては大笑いをした。
マメタンには「必ずお金は返します」とみんなの前で誓った。

さよならまた帰ってくる。
快適なドライブで一路ハンブルグへと向かった。

ハンブルグは大きな港町。英語読みでハンバーグ。
そこのステーキはそうハンバーグステーキ?

ユースは町の中央、盛り場レーパーバーンのすぐ近くにあった。
欧州にはほとんどの国に公娼がいまでも健在だ。

画家のおじさんは金持ちだったので、
行こう行こうと誘われて一応一緒にのぞいてみたが
オサムは先に帰った。後で聞くと、

ぼったくられてバカにされて散々だったと、
画家のおじさんは目に涙して怒っていた。
やっぱり行かなくてほんとうによかった。

アウトバーンは快適だ。ハノーバー、ケルンとこのあたりは
車も多く工場地帯だ。ニーダーザクセンと言う。
ふと見るとホンダのN360が走っている。

アウトバーンでは日本の軽は無理だと思うが・・・?。
ハンドルを持ったおじさんの顔は真っ青だった。
よほどの日本ファンなのだろうな。

フランクフルト、ハイデルベルグ、シュトッツガルト、
アウグスブルグと下り、快適な全線無料スピード制限なしの
アウトバーンとユースホステルの旅。
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