運命の人
「であるからして、我が社における … …」

 土曜日の大会議室。広いこの会議室に合わせ、ホワイトボードの前に立ったその男性はその場にいる社員全員が聞き取れる事が出来るようにと、部屋全体に響き渡るほどの大きな声で説明をしている。その男性とは対照的に聞いている社員は皆、土曜日の朝の会議にうんざりといった様子だった。

「あ~あ、たまんねぇよなぁ~。土曜日に会議なんて」
「仕方ないだろ? この業界に土曜日も日曜日もないんだからさ」
「お前よく言うよ! ついこの間俺と同じ事言ってたくせに」

 どうしても前で話している男性の話に興味が沸かないのか、若手社員同士が愚痴を零し始めた。

「しっかし、社長はタフだよなぁ~。ほぼ休みなしで仕事してんだぜ?」
「そうなの?」
「あれじゃあ女が出来てもすぐ逃げられるよな?」
「言えてる」

 無駄話に花を咲かせた男性社員二人は、会議室の中央に座っている社長に視線を移した。

「「!」」

「と言う訳で、是非ともここで社長のご意見をお伺いし……?」

 前で説明をしていた男性が途中で発言を止め、どうしたのかと顔を下に向けていた社員が一斉に顔を上げる。どうやらその男性は社長の姿を見て言葉を失ってしまっていたようで、会議室中の皆がその男性の視線を辿った。

 窓から差し込む数本の日差しの中。ジャックは椅子の背もたれに身体をすっぽりと預け、すやすやと寝息を立てている。色白の肌に長い睫毛、少し乱れた前髪の隙間から見たその表情は何処か神聖なものの様に感じられた。
 その彼の珍しい姿に、会議室が急にざわざわと騒がしくなった。

「お、おい。社長、寝てるのか?」

 今、目の前で起こっている事が今一理解出来ないのか、眠っているジャックから視線を離すことが出来ず、肘で隣の男性社員をつついた。

「あ、ああ。そうみたいだな……」
「……う、嘘だろっ!? あんな仕事の鬼の様な人が会議中に寝るなんて……。俺、今まで見たことないぜ?」
「あ、ああ、俺もだよ。――しかし」

「綺麗だよなぁ……」「美形だなぁ」

 同時に同じ事を言ってしまい、会議中にもかかわらずざわついているのをいい事に、二人は思わず目を合わせぷっと吹き出してしまった。
 眉目秀麗とは彼の様な男性の事を指すのだろう。寝姿さえも絵になるジャックに周囲の皆の熱い視線が注がれていた。

「お、俺達ストレートだよな?」
「お前は知らんが、俺は少なくともストレートだよ」

「男でこんなだから、女だともっとすげーんだろうな」

 二人は会議に出ている女性社員を見渡して見ると、予想通り皆恍惚とした表情で彼を見つめている。中には、

「お、おいあの子見ろよ!」
「ん? ちょっ、流石に写メはやばいだろ!」

 珍しい社長の寝姿を写真におさめようとしている勇者が居たことに、二人とも流石に驚いた。

「俺も撮っとこう♪」
「お前、何に使うんだよ!? とうとう目覚めちゃったのか?」
「馬鹿! これをネタに女の子を誘うんだよ!」
「あーなるほど。頭いいなお前! ……じゃあ俺も少し失敬して。売れるかもしれないもんな」

 ざわついた会議室の中で皆の注目を浴びて居ることにも気付かず、すやすやと寝息を立てている彼はまるで天から舞い降りた天使が地上でその羽を休めているかの様に、穏やかな表情を浮かべ心地良さそうにしていた。
 会議が中断するのも無理もない程、珍しく、美しい光景であった。


 ◇◆◇

 勢い良く開け放たれた扉から、眉根に深い皺を刻み真っ赤な顔をしたジャックが飛び出してきた。

「ったく! みんなどうかしてるよ!」

 扉付近のデスクに座っていた秘書のジュディスは、予定よりも早く社長が出てきた事に驚きながらも慌ててデスクの上に広げた書類をまとめ始めた。

「社長? 会議はもう終わりですか?」

 そう声を掛けるとジャックは足を止めることなく、とっくに通り過ぎた秘書に振り返った。

「ああ、終わり終わり! 話になんないよ!」

 普段は温厚な社長が珍しく怒っている様子を見て、ジュディスは中で一体何があったのかと首を捻った。そのままの勢いで自室に戻るのかと思いきや、何かを思い立ったのか大きな歩幅で歩いていたのをピタリと止め、顎に手を置きながらゆっくりとジュディスの方へと振り返った。

「ジュディス。次の予定は?」
「? あ、はい。会議が午前中一杯の予定にしておりましたので、次は……、13時からプロジェクト会議になります」

 その言葉を聞くや否や、ジャックは右の袖を捲り時間を確認した。

「10時……半か」

 するとさっきまでふくれっつらをしていたのが嘘のように、ジャックの顔はみるみる笑顔に変わっていった。

「ジュディス、ちょっと出かけてくるよ」
「え? あ、私は……?」
「昼寝でもしてればいいよ、じゃあ後はよろしくね」

 そう言うとジャックは足早にその場を去った。

 社長付秘書だからといって常に社長と行動を共にしなければならないというわけではないが、ジャックの行き先によっては自分も同行しなければと思っての発言だった。何処へ行くかも話そうとしないところをみると、社長の外出先はどうやら仕事関係では無さそうだ。
 急いでここから離れる準備をしていたジュディスは少し肩透かしを食らったような気分になった。
 首をひねりながら残りの書類を片付ける為にデスクへと向かうと、開いている会議室のドアからざわついている部屋の中の様子が見える。中では携帯やノートパソコンを手にした多数の社員が何故か列を作っていた。

「写真を撮った奴は先に申告する事! さもないと給料50%カットの2階級降格だぞ! いいか、今から片っ端から調べるからな!」

 なんだか恐ろしい内容の話が聞こえた事に思わず肩を竦めてしまったが、もっと恐ろしいのはその問いかけに対して次々と手が上がった事だった。
 一体これは何なんだと、又ジュディスは首をひねった。


 ◇◆◇

 社長室に戻るとジャケットの内側のポケットから携帯を取り出し、おもむろに電話を掛け始めた。呼び出し音が鳴っている間、彼は自然と溢れ出る笑顔を抑えることも無く、その声の主を待ち続ける。だが無情にも留守番電話のメッセージが流れ始めた事により彼の笑顔はかき消された。

 途端、じっとしていられなくなったのか、移動しながら何度も電話を掛け続けている。だが、何度掛けても繋がらない電話に、もどかしい気持ちがどんどん込み上げてきた。エレベーターに乗り、地下駐車場に停めてある車に飛び乗り再び携帯電話を握る。今度はすぐに繋がり電話口に出た相手にいつになく早口で話し始めた。

「あ、僕だけど。彼女、もう帰ったよね? ……そう。あ、いや、いいんだ。うん、じゃあ」

 もうとっくに帰ったと聞いた途端、繋がらない電話に少し心配になる。片手でハンドルを握りながら無意識に親指の爪を噛んでいた。

(今日休みだって言ってたけど、まだ家に帰ってないのかな)

 気付けば前に一度送った事のある、彼女の家の近くだという駅に向かって車を走らせている自分が居た。


 ◇◆◇

 サイドブレーキを踏み、彼は車から降りて再び彼女へ電話を掛けた。

「――?」

 途端、背後で携帯電話の着信音が鳴り響き、振り返ると駅の改札口からバッグの中をごそごそと探している彼女がこっちへ向かって歩いてくるのが見えた。

 ――やっと見つけた。
 安心感と彼女に会えた嬉しい気持ちで一杯になり、彼の顔がみるみる笑顔で満たされる。昨日――、いや、ほんの数時間程前に会っていたと言うのに、何日も会ってないかの様な気持ちになっている事に自分自身驚いた。初めて昼間に会う事が、彼を浮き足立たせてしまったのかもしれない。さっき会ったばかりだと言うのに、自分がここに居たらきっと彼女驚くだろうな。そんな少年の様な悪戯心が湧いて来て、顔の緩みを戻す事が出来ないでいた。

 彼女はバックの中から携帯電話を探り当て、ディスプレイ画面を見ている。すると彼女も又笑顔を浮かべていて、その表情をばっちり見届けた彼は今すぐ彼女を抱きしめたくなる衝動に駆られた。
 慌てて電話に出た彼女を見つめながら、すぐ側に電話の相手がいる事を教えるわけでも無くそのまま携帯電話を通して話を始めた。

「もしもし?」
「もしもし、僕だけど」
「あ、はい。――どうしたんですか? お仕事じゃ?」
「うん、近くまで来たから寄ってみたんだ」

「……え? 近く、……って」
「一緒にランチでもどうかなって思って」

 電話の向こうから聞こえる彼と同じ声が、何故か近くから聞こえる。

「……。」

 彼女が顔を上げると、ポケットに手を突っ込みながら車にもたれかかり、片手で携帯を握り締めている彼が、彼女を見つめながら満面の笑みを浮かべていた。
 呆気に取られている彼女に構わず片手で携帯電話をパタンと閉じると、

「おかえり」

 そう言って、ジャックは彼女に手を差し出した。
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