運命の人
 叶子の話にジャックは驚きを隠せないのか、ティーポットに入れようとしていた茶葉は手元が狂ってパラパラとカウンター上に散らばった。それを見た叶子はソファーから立ち上がると彼の隣に立ち、紅茶の葉を手でかき集めて片付け始めた。

「え? 何? 全く話が見えないよ」

 ジャックは両手をカウンターにつき、きょとんとした目で叶子を覗き込んでいる。確かにその表情は全く意味がわからないといった顔をしていたが、それと同時に話の流れによっては黙ってはいないのだというようにも感じ取れた。

 全く紅茶を淹れる素振りのない彼から紅茶缶を取り上げると、紅茶を入れる準備をしながら溜息混じりに事の成り行きをゆっくりと話し出した。

「――という訳で、騒ぎが落ち着くまで旅行にでも行っといで……だって」
「──。」

 叶子の話を一通り聞き終えたジャックは少し考えこんだかと思うと、カウンターをぐるりと回りこんでデスクへと向かう。叶子はそんなジャックの様子をただ黙って見つめていた。
 そして彼が受話器を取ったのを見て、何となく嫌な予感がして声を掛けた。

「どこにかけるんですか?」
「君のボスにだよ」
「……っ! ダメ!」

 嫌な予感は見事的中した。ただでさえ疑われていると言うのに彼が直接話をすれば余計に怪しまれる。
 手にした紅茶缶を慌てて置くと、叶子もカウンターをぐるりと回って彼の側へと駆け寄った。

「いいかい? こんな馬鹿げた噂話を信じて、僕の大事な仕事が潰されてたまるもんか!」

 受話器を耳にあてながら人差し指を立てて険しい顔をしている。慌てて手にした受話器を叶子が取り上げると、何も言わずにそのまま受話器を置いた。

「やめて、余計こじれるから!」
「でも!」

 お湯が沸いたのを知らせる音が鳴り、叶子は再びカウンターへと戻る。何とかして叶子を納得させたいのか、話をしながらジャックも後をついて来た。
 ティーポットにお湯を注ぎ入れ蒸らしている間に、手際よく彼のペリエの準備をする。

「もう大体出来上がってたし……、作品自体はあのまま進めるって言ってましたし。ただ、担当者が代わるだけで貴方には何も支障はない筈です。それに、変に貴方が出てきたら、収まるどころか話が大きくなっちゃって私が仕事に戻れなくなっちゃいます」
「……。」

 冷静になって考えてみると、確かに自分が口を挟むと話が余計に大きくなる。今回の処分に彼女だけでなく自分も馬鹿にされた様な気がして文句の一つでも言わなければすっきりしなかったが、叶子の言った通り、もし自分がアクションを起こせばこれから叶子が会社に居づらくなるのは目に見え、仕方なくジャックも諦める事にした。
 ただ、これから仕事を口実に彼女と会うことが出来なくなる。いずれはそういう日がやってくるとは思っていたが、こうも早くその日が訪れるとは思っていなかった。

「……。──あ!」

 蒸らし終えた紅茶をマグに注ぎいれている隣でジャックは何かを思いついたのか、寄せていた眉を元に戻し、大きく目を見開いて叶子の顔を覗き込んだ。

「ねぇ、この家で一緒に住まない?」
「!!」

 その言葉に一気に動揺したのか、ティーポットの蓋が外れて熱い紅茶が手にかかった。

「熱っ!!」
「わぁっ! 大丈夫!?」

 彼女の手を掴むと急いでシンクへと移動する。勢い良く出した水に叶子の手を引き寄せる。

「もう、おっちょこちょいだなぁ」

 クスクスと笑っている彼を直視する事が出来ず、かあっと頬を染めた叶子は蛇口から流れ出る水を見つめていた。

「だ、だって! 変な冗談言うから……」
「冗談なんかじゃないよ。その方が一緒に居られる時間が増えるでしょ?」
「だ、で、……えぇ~?」

 じっとりとした熱い眼差しを向けられて、顔の熱が一向に収まる気配が無い。どこでどうなったらこんな話になるのかと、さっきまで落ち込んでいたはずなのに彼の一言で一気に調子が狂い始めた。

「空いてる部屋は沢山あるし。と、言っても荷物置き場ね。寝室は一緒でいいよね? ああ、一緒と言っても大丈夫。僕、何もしないから安心して。ただ君を抱き締めて眠れるってだけで十分だよ。うん、絶対ぐっすり眠れるな」
「な……!」

 何処か妄想に浸っているような口振りで、勝手にプランを練り始めた。
 あの広いベッドにしっかりと抱き締められながら眠るのを叶子もつい想像してしまい、快眠など到底無理だと耳を塞ぎたくなったが、生憎片手は彼にしっかりと掴まれていて耳を遮る事は出来なかった。

 水の流れを止め、彼が叶子の指を自分の目の高さまで持ちあげると、痕が残っていないか色んな角度から確認した。

「とりあえず……。旅行に来たつもりで仕事が休みの間ここに居てよ」

 返事に困っている叶子に柔らかい笑顔で微笑んだ。叶子へ視線を向けたまま、彼女の細く白い指にチュッとキスを落とした。

「や、ちょっ」

 その行為に思わず首を竦めた。
 耳の先まで真っ赤になり照れている様子が面白いのか、ちらりと赤い舌をのぞかせると火傷を負った箇所にその赤い舌を這わせた。
 叶子の変化を楽しもうとしているのか、自分に向けられている彼の視線を感じる。恥ずかしいならこの手を振りほどけばいいというのに、叶子はそうすることもせず自身の指を舐める彼の赤い舌に目を逸らせなかった。
 指の付け根を嬲られては時折ピクンッと身体が震えるのを感じる。

「や、だぁ……、もう」

 羞恥に震えた声で許しを請うと、やっと彼は叶子の指を開放した。
 その手をそのまま握り締め手の甲に軽く口づけを落とす。次には口唇を食む様にして互いの口唇を重ねあった。
 叶子の下口唇を軽く噛みながらゆっくりと口唇を離した途端、下を向いてしまった叶子が震えた声で呟いた。

「ル、ルール違反だよ」

 口ではそう言いながらも、上気した頬がまんざらでもないのだと代わりに言っているのが良く判る。
 何ともわかりやすいその態度にジャックが口の端を上げる。

「知ってた? ルールってのはさ、破る為にあるんだよ?」
「……バカ」

 そして又、どちらからともなく引き寄せられるようにして、口づけを交わした。
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