運命の人
「おはようございます」

 足を庇う様に歩きながら、いつも通り席に向かう。

「おは……、――ん? 足どうかしたの?」
「ええ、ちょっと捻っちゃったみたいで」

 誰かに会う度に聞かれ少々うんざりしてきた。いっその事社内メールで『野嶋叶子は足を捻りました。でも、大した事無いので心配しないで下さい』とでも書いて一斉送信したい気分だ。

 はぁーっと溜息を吐きながら椅子に座ると、一つの視線が突き刺さるのを感じる。そこに目を向けることはしなかったが、明らかに健人に見られているのが判った。

 給湯室で先輩とお茶を入れながら談笑している所に、先輩の視線が叶子の後ろに向けられた事でつられて後ろを振り返る。背後には今一番顔を合わせたくないと思っていた人物、健人が立っていた。
 給湯室に向かう叶子を見てきっと追いかけて来たのだろう。先輩が居たのに気付くと少しばつが悪そうな顔をしていた。

「あら、健人。何その顔は? 私がいちゃいけない?」
「違いますよー、俺もコーヒー飲もうかなと思って」
「あらそう? ならいいんだけど。ちょっと待ってすぐ終わるから」

 狭い給湯室は2人入れば窮屈だ。コーヒー派の先輩はサーバーに落とされたコーヒーをマグに入れるだけなのに対して、紅茶派の彼女はお湯がまだ沸ききっておらず必然的に先輩が場所を譲る事になる。

「お待たせ、お先」

 マグにコーヒーを注ぎいれると、健人と入れ替わるようにして先輩が給湯室をあとにする。健人が中に入って来てからも叶子は目をあわさないようにしていた。

「あの、……昨日はごめん」
「――。」
「本当に反省してる」
「――。」
「足、大丈夫?」

 叶子ははぁっと大きなため息を吐くと、長身の健人を下から睨み付けた。

「……あんた、本当に反省してんの?」
「うん」
「じゃあもう構わないでよね」
「それは、保証出来ない」
「はぁ? あんた言ってる事がおかしいよ?」
「昨日の事は悪いと思ってるけど、だからと言って俺の気持ちが変わるわけじゃないって事だよ」

 反省してるとは思えないその台詞に、叶子は首を捻った。

「昨日も言ったけど、あんたは私が好きなんじゃない。彼から私を奪いたいだけ」

 そういい残すと叶子はその場を去った。

「?」

 デスクに戻ると又オフィス内が騒がしい。いつものように聞き耳を立てると、とんでもない話を耳にした。


 ◇◆◇

 足を引きずる叶子を見つけたジャックは、急いで駆け寄り自分の肩を貸した。

「今日一日大丈夫だった?」
「うん、なんとか」

 足元に視線を落とすと、何の処置もされていない事に気付き眉根を寄せる。

「朝必ず病院に行くんだよってあれほど言ったのに」
「だってー。寝坊しちゃったんだもん」
「あーあ、こんな事ならやっぱり僕も一緒に泊まるんだったよ」
「私はそうしてって言ったのに、『理性が保てないから』って言ったのはどこのどなたですか?」
「だって! 仕方ないじゃん。……僕だって一応男なんだし」

 口先を尖らせながらまるで子供の様に拗ねた顔を見せる彼。もし、あのまま叶子の家に泊まってしまえばきっと自分を止められなくなる。ジャックは彼女に無茶をさせたくないと言う思いから、心配ながらも昨日は家に送るだけにとどめたのだった。

「じゃあ、今日は病院寄って帰ろうね」
「はーい」

 昨日までの出来事がまるで無かったかのように、二人の間には穏やかな空気が流れている。健人の件に関しては決して許される事ではないが、あの出来事があったからこそまた二人は引き合わされた。互いの間にあった誤解が解けたのは純粋に喜ばしく、本当は健人に対してもっときつく当たってもおかしくない所だったが、ジャックとの関係が修復した事で相殺する事にした。
 きっと、ジャックもそう思っているのだろう。誰に何をされたのかなど、深く追求してくる事は無かった。


 ◇◆◇

「さてと、やっと仕事も片付いたよ」       
「お疲れ様」

 以前、そうしていた様に彼の部屋のソファーに座って本を読んでいる叶子の横にジャックが腰を下ろす。たったそれだけでも二人は充足感で満たされていた。

「足、見せて」

 包帯が巻かれた足を軽く浮かせる。ジャックがその足を自分の膝の上に置くと患部を優しく撫でた。

「大した事無くて良かった」
「うん。心配してくれてありがとう」

 自分の足首を何度も撫でる彼の手を見ながら、今日会社で耳にした噂を彼に確かめ様か否かを迷っている。もし、その噂が本当なら彼の口から出てきてもおかしくないのに、全くそんな様子がないことからやはりあれは噂話なのかもと思う。
 聞きたい事をちゃんと聞けなかったから今回みたいな事になったのだ。もう同じことを繰り返すのは嫌だと叶子は思い切って尋ねる事にした。

「あの、今日何か変わった事無かった?」
「ん? 変わった事? うーん」

 ジャックは腕を組むと顎に手を置き首を捻っている。暫くして、あっと思い出したような表情になると叶子は食い入るように彼を見つめた。

「今日お昼にから揚げ弁当食べたらさ、いつもよりから揚げが1個多かった!」
「……プッ」

 思いも寄らぬ言葉がジャックの口から出てきて、思わずプッとふきだした。叶子を笑わせる事が出来たことが余程嬉しいのかジャックは満足そうにしていた。

「あなたでもそんなの食べるのね」
「時間が無い時はお弁当が多いよ?」

 ジャックはいつも豪華な食事しかしないと勝手に決め込んでいたせいか、意外な事実を聞いてぐっと彼を身近に感じ少し嬉しくなった。と共に、今までジャックの何を見ていたのだろう。勝手なイメージを決め付けていたのは自分では無いのかと少し反省することとなった。

「って、そうじゃなくて。もっと、こう」
「?」

 言いたい事がこれでは伝わらない。ジャックの膝から足を下ろし姿勢を正すと真剣な表情で彼を見つめた。

「藍子が貴方を訴えたって……」
「ああー、その事か」

 ゴクリと息を呑んで言った叶子に対し、ジャックはあっけらかんとしている。

「やっぱり本当なの!?」
「うん、そうだよ」

 噂ではなく事実だと知り、叶子は同僚のしでかしたことに愕然とした。
 一週間の休みを取らされていた藍子は、あれから全く出社していなかった。今朝そんな噂を小耳に挟み又よからぬ事を考えている藍子に心底怯えた。

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