光のもとでⅠ
 蒼兄と昇降口に向かって歩いていると、海斗くんと途中で会った。
「翠葉、おはよ! 蒼樹さん、おはようございます」
「海斗くん、おはよう。今日は朝練なかったの?」
「いや、部活には行った。今日はこれ渡さなくちゃいけないから先に出てきたんだ」
 と、かばんからノートを取り出した。
「何?」
 そのノートを受け取ると、
「秋兄からのプレゼント」
 にっこりと笑われてフリーズした。
 私、落ち着こうっ――。
 今目の前にいるのは秋斗さんじゃなくて海斗くんっ。それに、このノートだって単なる試験の山帳だ。何も反応する要素はないはず。
 そうは思っても意志に反して顔の温度が上昇していく。
「蒼樹さん……これ、何?」
 海斗くんが、これ、と指したのは私の顔だった。
「くっ、これはしばらくいじり甲斐がありそうだな」
 蒼兄はメガネを外して涙を拭きながら笑っている。
 ひどいっ。
「えっ!? どういうことっ!? 何、俺、今なんて言った? ――秋兄!? 翠葉、秋兄となんかあったっ!?」
 海斗くん、それ以上秋斗さんの名前を連呼しないでっ。
 ノートで顔を隠し、その場に座り込んでしまう。
「翠葉さん……もしかして、恋、しちゃいましたか?」
 海斗くんの声が上から降ってくる。
 秋斗さんよりも少し高めの声だけど、骨格が似ているからか、必然的に声の質も似ていて――困る。
「蒼樹さん、いいなぁ……。俺もこんな妹なら欲しいっす」
「いいだろ? かなりかわいいぞ」
 ふたりは私を置き去りにして会話を続ける。
「ま、そういうことなんだ。海斗くん、あと頼んでもいいかな?」
「任せてくださいっ!」
「じゃ、翠葉。具合悪くなったらすぐに連絡入れろよ?」
 言うだけ言うと、頭をポンと一度優しく叩いて大学へ向かって歩きだした。
「翠葉、もういじめないからさ。とりあえず教室行こうよ。ほら、翠葉が座り込むと髪が地面につく」
 目の前に差し出された手を取ってゆっくりと立ち上がった。

 教室には桃華さんがいた。
 ここ数日、私よりも来るのが早い。
「……翠葉、昨日よりも顔色はいいのだけど……。若干血色が良すぎないかしら? ……熱、ないわよね?」
 桃華さんの手が額へと伸びてくる。
 私はブンブンと顔を横に振るものの、前の席で海斗くんがくつくつと笑いだす。
 海斗くんも蒼兄もひどい……。
「何よ……海斗ひとりで楽しんじゃって。ずるいじゃない」
 桃華さんが文句を言うと、
「翠葉に向かって、片っ端から男の名前言ってみ」
「なっ……」
 文句を言おうと思ったけど、続く言葉が見つからなかった。
 桃華さんは「え?」という顔をして、すぐに司先輩の名前を口にした。
 私の顔をじっと見ると、
「違うのね」
 と、次の名前を挙げる。「じゃぁ、秋斗先生?」と。
「……大当たりね?」
 クスリ、と笑われ机に突っ伏す。
「桃華さんまでひどい……」
 海斗くんの笑い声に桃華さんの笑い声が追加される。
「で、初恋の感想は?」
 まるで昨日の蒼兄と同じ質問を海斗くんに投げられた。
「……心臓壊れそう」
「じゃぁ、模試明けの答えは決まったのね」
 模試明けの答え――返事のことだ。
「……それは別、かな」
「……はっ!? なんで? だって両思い確定じゃん」
 海斗くんが机に乗り出してくる。
「……私、テストが終わったら薬漬けだから。きっと、自分のことしか考える余裕なくなっちゃうもの」
「……昨日あんな状態だったのは薬のせい? だとしたら、今、意外と平気そうなのは薬をやめたから?」
 桃華さんはとても鋭い……。
「ピンポン……。本当はもう飲み始めなくちゃいけないの。でも、そうすると模試どころじゃなくなっちゃうから、湊先生にお願いして一週間ずらしたの。だから、模試明けは欠席が続くかも」
「そういうときこそ、好きな人が側にいたらがんばれるもんじゃね?」
 海斗くんに言われて、普通の女の子はそうなのかな、と少し考える。
 でも、考えたところで、その"普通の女の子"に自分はなれそうにはない。
「秋斗さんは手を差し伸べてくれるのかもしれない。でも、私は何も返せない……。それが嫌だし、何よりもダーク翠葉さん登場って感じの期間なんだよね。そのダークサイドの自分を抑えるのに必死だから、本当にそんな余裕はないんだ」
「バカね……。そんなときは思い切り甘えちゃえばいいのに……。秋斗先生だってそれを望んでるでしょうに」
「……でも、無理。その状態の自分は見られたくないの」
 言うと、海斗くんと桃華さんは大仰にため息をつかれた。
「本当に困った子だなぁ……」
 と、海斗くんが言えば、
「ある意味謙虚すぎるのも問題ね」
 と、桃華さんに言われた。
 困った子、というのは当てはまるかもしれない。でも、謙虚、というのはどうだろう。
 なんとなく違う気がする。
 本当に、痛みと闘っているときは何度となく心が折れる。それはまるで、ポキ、と音を立てて折れる小枝か何かみたいに。
 その都度、心を立て直してがんばるのだけど、また簡単にポキ、と折れてしまうのだ。
 そのくらいに弱くなる自分を誰かに見せたいとは思わないし、好きな人ともなれば、余計に見せたくはない。
 そんな私は見てほしくない――。
 普段、具合が悪いのを言わないとかそういうのとは別の問題。
 自分がこんなにも醜い生き物だったのか、と思うほどに心の中はドロドロしたものでいっぱいになる。
 そんな季節であり、そんな期間がこれから二ヶ月間も続く。
 逃げ道などどこにもないことはもう知っているのだ。
 蒼兄……。
 もし、両思いだったとしても付き合うとかそういう形にはおさまらないと思う。
 秋斗さんに好きだと言ってもらえて、自分が秋斗さんを好きだと気づけた。それだけで私には十分なの。その先は範疇外の幸せっていうか……。
 やっぱりどうしても考えられないの。
 私という人間はどこまでも有限の生き物だなって、最近常々思う。
 体力もそのうちのひとつだし、大切な友達や人が増えることすらが怖いと思う。
 この手に持ちきれなくなって、何かひとつでも零れてしまったら……と思うと、それ以上増やしたいとは思えない。
 どうがんばっても、私には限りがある――。
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