光のもとでⅠ

17~19 Side Kaito 03

「俺が連れてくって言っちゃったから送るよ」
 そう言って席を立つ。
「別にひとりでも大丈夫だよ?」
 翠葉は不安を全面に押し出した表情で答える。
「そんな不安そうな顔で?」
「う……」
「そこまでついていってやるから」
 ごり押しすると、「ありがとう」と申し出を受け入れてくれた。
 翠葉には何かしようとしても必ず一度は断られる。でも、それにも慣れた。
 それに、こっちが強引に行けば根負けするっていうこともわかったし。
 秋兄も根競べかもな。
 でも、翠葉って素直だけれど意外と頑固だし……。
 どうなることやら。
 翠葉の歩調に合わせてテラスを歩いていると、色んなところから声がかかる。
 かけられるのは主に俺の名前。
 中等部のときもそうだったけど、なんていうか……賑やか通り越してうるさいよね。
 ま、きゃーきゃー騒いでもらえてるうちが花と思ってはいるけれど。
 適当に手を上げて愛想笑いをするのにもだいぶ慣れた。
 その点我が従兄殿、司は完全無視を決め込んでいる。
 とことん女には冷たく容赦がない。ただひとり、隣を歩く翠葉を除いて……。
 視線を翠葉に向けると、こっちを見上げる顔があった。
「何? じっと見て」
「……海斗くんの気配りぶりに感心してたところ。騒がれるのはあまり好きじゃないって言ってたけど、ちゃんと手を振り返していたり優しいなって……」
 なんだ、そんなことか。
「あぁ、だって俺のフェミニストは秋兄仕込みだもん」
 秋兄の名前を出すだけでも反応する翠葉がかわいくて、真面目に自分の妹に欲しくなる。
「でも、俺には秋兄みたいなスマートさはないし、女子をあそこまでお姫様扱いはしてあげられないけどね」
 今度はきょとんとした顔で見上げられた。
「だからかな……。海斗くんや佐野くんは意識しないで側にいられるの」
 それはもう屈託のない顔で言われる。
「……それってさ、もし俺や佐野が翠葉を好きだったら致命的な一言じゃね?」
「……え? そう?」
「そうでしょうよ……」
「……でも、そういうふうには見ていないでしょう?」
「ま、そうだけど。でも、今後はわからないだろ?」
「……そういうもの?」
 さっき同様、全く疑いを含まない目で訊いてくるから心配になる。このままじゃいつか詐欺に遭うんじゃないだろうか……。
「翠葉さん……。あなたはもう少し猜疑心というものを育てなさい」
 もしなんだったら俺がその役請け負うから……。
「ほら、秋兄出てきたよ」
 図書棟の入り口を指し示すと、
「あ……海斗くん、どうしようっ――」
 翠葉は真っ赤になって俺の袖を引張った。
 きっとこういうのも無意識。
 俺は未だかつてこんなかわいい仕草をする女を見たことがない。
「困ったやつめ」
 仕方がないから一度落ち着かせるために、秋兄が見えないように視界を塞いであげた。
 翠葉の身長は百六十もない。そして俺は百八十ちょっとある。
 だから今、翠葉の目には俺の胸が映っていることだろう。
「翠葉はさ、なんで秋兄を好きになったの? 少なくとも、見かけだけなら司だったんじゃない?」
 初恋というなら司だったと俺は思う。ただ、翠葉がそのことに気づかなかっただけ。
 それがどうして秋兄に移行したのかは不明だけど……。
「……雰囲気、かな。……優しくて柔らかい空気をその場に作ってくれる人だから……?」
 一生懸命好きになった理由を考える翠葉。
 顔とか性格とか大人だからとか、そんな一般的な答えは返ってこない。
 こういう理由を聞いたのは初めてだった。そして、そんなふうに想われている秋兄を羨ましいと思った。
 俺も、好きになった子にはこんなふうに思われたいな。
「それはさ、緊張するような空間じゃないだろ?」
 なだめるように、諭すように話す。
 不思議そうな顔で聞いている翠葉に、
「一緒にいる時間がずっとドキドキしているものじゃないよ。少ししたら落ち着く。そしたらそこには翠葉が好きだと思った空気があるんじゃない?」
 俺自身、恋愛経験が豊富なわけじゃない。
 けど、ドキドキしてばかりじゃないのは知っている。ちゃんとほっとする時間だってあるんだ。
「だから、大丈夫! ほら、行くよっ!」
 再び翠葉の隣に並んで背中を押す。
 翠葉の視線の先には秋兄がいる。
 テラスに背を預け、翠葉が来るのを待っている。
 いつも見る笑顔よりも、もっと穏やかで優しい顔。
 あんな顔は弟の俺だってそうそう見られない。
 翠葉、おまえはもっと自信を持っていいと思うぞ?
 不意に翠葉が俺を見上げる。
「……海斗くん、ありがとう」
「そうそう、困った顔ばかりしてないで笑ってな」
 さて、お邪魔虫はとっとと退散しますかね。
「じゃぁな!」
 図書棟手前の階段まで行くと、何を言うでもなく秋兄に視線を送る。
 ニヤリと笑ってそのまま階段を下り始めると、階段半ばで翠葉の声が降ってきた。
「部活、がんばってねっ!」
「おうっ!」

 部室棟の階段を上がるとき、テラスにいるふたりが目に入る。ふたり並んで図書棟に入るところだった。
 年の差はあるかもしれない。でもさ、並んで歩く後ろ姿ではそんなのわからないよ。
 秋兄、翠葉ってさ、すごくいい子だ。人に慣れてないっていうのは否めないけど、でもその分純粋っていうか……。
 人の言うことにはきちんと耳を傾けるし――若干、猜疑心は養ったほうがいいと思うけど。
 とにかく、すごくいい子だと思う。
 うちのクラスの連中は翠葉の声が聞きたいみたいなんだよね。
 不思議なことにさ、あまり大きな声でもないのにあの高めの声はどんなにうるさい応援の中でも必ず耳に届くんだ。まるで心に響くみたいに。で、翠葉が笑うと場が和む。
 桃華のメールで幾分か緊張していた人間たちがこぞって翠葉に話しかけにいったくらい。で、笑ってもらえたって喜ぶんだ。
 ここまでくると、うちのクラスの人間は翠葉病末期なんじゃないかって思うんだけど、勝利の女神って短時間の間で言われるようになるくらいにはご利益があったのは確か。
 体弱いし色んなハンデもあるのかもしれない。でも、それ以上のものを翠葉は持ってると思うよ。
 悪いけど、いくら秋兄でも翠葉を泣かせるようなことをしたら許さないから。
「海斗っ! さっき御園生さんとテラス歩いてたろっ。おまっ、同じクラスだからってずりーよっ」
 部室に入ると進藤聖司(しんどうせいじ)に絡まれる。
「だって俺友達だし」
「ホント、ずりーよなぁ……。俺も御園生さんと仲良くなりたい」
 ラケットのグリップテープを巻きながら言うのは同じクラスの高崎空太(たかさきそらた)。
 飛鳥の前の席で、翠葉の斜め前の席。要は俺のお隣さん。
 佐野はいつも、空太の席を借りて飛鳥の机で課題をやっている。
「おまえだって同じクラスじゃんか」
 聖二が言うと、
「いや……同じクラスでも席が近くてもダメなんだよ」
「は? 意味わかんね。同じクラスなら話しかけられるだろ?」
「や……海斗や佐野が話しかけるのと俺とじゃ全然違うんだ」
「何が?」
「んー……あんま男に慣れてないっぽくてさ。いつだったか、ふざけに乗じて陽介が抱きついたらフリーズした」
「は? そりゃいきなり抱きつかれたら固まるだろ?」
「なんていうか、一度話してみたらわかると思うけど、警戒網張ってあるのがよくわかるよ。それもトゲトゲしたやつじゃなくて、やんわりと『それ以上近づかないでね?』って小動物っぽい感じの。それに気づいちゃうとさ、無暗に近づいちゃいけないって思わせられる何かがある」
 くっ、空太のたとえ的を射すぎていて笑える。
「で、なんで海斗と佐野って男は大丈夫なわけ?」
 聖司が訊くと、
「俺も知りたい」
 と、空太も俺を見た。
「それはさ、人徳ってやつじゃないかな?」
 俺はご機嫌でロッカーを閉め、ふたりを取り残して部室を出た。
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