光のもとでⅠ
 午前四時間の授業が終わるとお昼休み。
 机に出していた教科書をしまっていると、ポケットの中で携帯が震えた。
 ディスプレイには蒼兄の名前が表示される。
「もしもし?」
『今からそっちに向かう。十分くらい時間かかるから少ししてから出ておいで』
「うん、わかった」
 電話を切ると、
「今日も桜香苑に行く?」
 飛鳥ちゃんと桃華さんに訊かれ、
「あ、ごめんね。今日は蒼兄がこっちに来てくれて、秋斗さんのところへ行くことになってるの」
 すると、"秋斗さん"という言葉に飛鳥ちゃんが反応を示す。
「それってお供していいのかなっ!?」
 飛鳥ちゃんの大きな目がキラッキラと輝いている。
「あのインテリお兄さんも一緒なんでしょうっ!? これ以上ないくらいの目の保養じゃないっ」
 飛鳥ちゃんが身を乗り出した分、私は身を引く。
 ……どうしよう。これはなんと答えたらいいのものか――。
「飛鳥、翠葉困ってるじゃない。……何かあるから行くんでしょ?」
 桃華さんが助け舟を出してくれたけど、海斗くんがお弁当を手に行く気満々で席を立った。
「別にいーんじゃね? 秋兄は気にしないだろ? 俺も行こっかな」
 別にダメというわけではなくて、私の気持ちの問題だ。一昨日のことを知られたくないという一方的な私の問題。
「翠葉、嫌だったらちゃんと自分で断りなさいよ?」
 桃華さんに言われてさらに困る。
「嫌というか……嫌じゃないというか……。――もし良ければみんなで……」
 都合が悪い理由を話すことができず、私は了承の言葉を口にしていた。
 自分の首を絞めるってこういうことを言うんだろうな……。
 四人揃って教室を出て、テラスを歩きながら考える。
 確か、図書室は入れる人と入れない人がいるはず。
 私はそれをクリアすべく蒼兄と待ち合わせをしたわけだけど、このメンバーで押しかけていいのかはわかりかねる。
 混みあうテラスを突っ切り図書棟入り口にたどり着く。と、すでに蒼兄が待っていた。
「蒼兄、友達も一緒なの……」
 不安な思いで蒼兄を見上げると、
「こっちは問題ないよ」
 "こっち"とは何を指すのだろう。
 図書室のこと? それとも「自分は問題ないけど?」という意味?
「兄の蒼樹です。翠葉がいつも世話になってる、かな?」
 どこか疑問形で挨拶をし、皆に視線を配りながら話す。
「簾条さんと会うのは三度目だね」
「自分、秋兄の弟の海斗です」
「初めまして。俺は秋斗先輩の後輩にあたるんだ。もう八年の付き合いになるんだけど」
 と、にこやかに答える。
「八年っていったら秋兄は高校生……? って、蒼樹さんも藤宮の出身なんですか?」
「そう、高等部から藤宮なんだ。そっちの子は?」
 飛鳥ちゃんに目を向けると、
「クラスメイトの立花飛鳥です! お兄さん格好いいですねっ」
 舞い上がったままの飛鳥ちゃんが奇妙な挨拶を終えた。
「格好いい、かな?」
 蒼兄は頭を掻きながら、「ありがとう」と答えた。
「じゃ、とりあえず図書室に入ろうか」
 蒼兄のカードキーで中に入り、少し待っているように言われる。
 蒼兄がカウンター内のインターホンを押すと、ドアが開き秋斗さんが出てきた。
「あれ? 聞いてたよりも大人数?」
「えぇ、少し増えたみたいです」
「海斗はともかく、かわいいお客さんはいつでも大歓迎だよ」
 何事もないかのように笑顔で答えるのだから、これは飛鳥ちゃんがキャーキャー騒ぐのも仕方がない気がした。
「翠葉、秋斗先生に話があるなら先に話してきちゃったら? 私たちこっちで待ってるわよ?」
 桃華さんが気を利かせてくれたのに私は悩む。
 別に隠すことじゃないってわかってる。知られたくないと思うのは私の弱さで――。
「翠葉ちゃん、どうかした?」
 秋斗さんに声をかけられ、蒼兄は見守るようにカウンター脇に立って私を見ていた。
「あの……。一昨日はお世話になりました。本当にすみませんでした」
 迷惑をかけた、と口にするとまた何かを言われてしまいそうだったから、その言葉だけは避けた。
「いいえ、どういたしまして。かわいい子の介抱ならいつでも大歓迎だよ」
 秋斗さんは話が重くならないように軽く返事をしてくれる。
「一昨日、何かあったんだ?」
 海斗くんが秋斗さんに訊くと、秋斗さんは「どうする?」というような視線を私に向けた。
 ……大丈夫。話しても大丈夫――。
「あのね、一昨日……八限が終わってから具合が悪くなって、秋斗さんに病院へ連れて行ってもらったの」
 床一点を見て話すと、
「あー、そうだったんだ?」
 と、海斗くん。
「お昼過ぎには具合悪そうだったもんね? 体育もレポートだったし」
 飛鳥ちゃんの言葉にチクリと胸が痛む。
 体育を休んだのは具合が悪かったからじゃない。私はこれからも体育の授業に参加することはないし、ずっとレポートだ。
 それは両親から学校へ連絡してもらっている。
「翠葉のことだからがんばりすぎて無理したんじゃないの?」
 桃華さんの言葉にもなんて答えようか悩んでしまった。
 無理をしたつもりはなくて、ただ色々見誤ってしまっただけで……。
「用ってそれだけ?」
 それまでいなかった人の声が割り込む。
 声の方、図書室の入り口に目をやると、藤宮先輩が立っていた。
 黒髪の奥に涼やかな目があり、メガネが顔立ちをよりシャープに見せる。
 違う、見惚れている場合じゃなくて――。
「藤宮先輩、一昨日はご迷惑をおかけしてすみませんでした。それから、保健室まで連れて行ってくれてありがとうございました」
 頭を下げる。と、
「別に……。あの場で何もしなかったらあとで御園生さんに何を言われるかわかったものじゃないし。……でも、少し太ったほうがいいんじゃない? 軽すぎ……」
 瞬時にお姫様抱っこされたことを思い出し、顔が熱くなる。
 やだ……今、絶対に顔が赤い。
 赤面を見られるのが恥ずかしくて、下げた頭を上げられなくなってしまう。
「なんで氷の女王様が翠葉の体重の軽さなんて知っているのかしら?」
 鋭い桃華さんの切り込みに心臓がドキリとする。
「保健室に運んだのが俺だから」
 藤宮先輩は淡々と事実を述べた。
「ふーん……。普段は極力女子に関わらないようにしているフジミヤセンパイが、ねぇ?」
 トゲトゲの言葉を総動員する桃華さんに藤宮先輩はきれいな笑みを添えて答えた。
「見解の相違があるようだけど……。俺はそんなふうに言われるほど女子を蔑ろにした覚えはないし、病人を見て見ぬふりするほど非道な人間でもないつもり」
 爽やかさを通り越し、寒気すら感じる。これが巷で言う笑顔の応酬だろうか。
 こっそりと桃華さんに視線を向けると、桃華さんは笑顔でいるものの、いつもよりも余裕がないように見えた。
 やっぱり本家本元は違うのかな?
 そんなことを考えていると、
「じゃ、用は済んだみたいだから」
 言って、藤宮先輩はこちらを確認することなく図書室を出て行った。
「ちょっと翠葉っ」
 桃華さんがぐりんっ、とこちらを向き、
「何倒れるまで我慢してるのよっ」
 蒼兄より勢いよく叱責された。
 昨日一昨日と散々叱られたことをさらに言われるとは思っておらず、驚き慄いていると、
「きれいなお姉さん、それくらいにしてもらえる?」
 秋斗さんが口を挟んだ。
「もうね、翠葉ちゃんは色んなところでこの件に関して怒られてるんだ」
 傍観を決め込んでいた蒼兄がやっとカウンター内から出てくる。
「簾条さん、君とは気が合いそうだ」
 桃華さんと蒼兄が話していると、飛鳥ちゃんがおずおずと寄ってきた。
「翠葉、具合悪いときは言ってよ。見てるだけじゃわからないこともあるから」
「……うん、努力してみる」
 私的にはがんばって口にした言葉だった。けれど、
「なんだよそれ。具合悪いの我慢できるくらいだったら、人につらいって言うのなんか努力することじゃないだろ?」
 ものすごく痛いところを海斗くんにつかれた。
「バカね、海斗。翠葉って秘密主義者だし、自分の思ってることはなかなか口にしないタイプよ?」
 蒼兄と話していたはずの桃華さんが話に加わる。
「へ? 翠葉って秘密主義者なのか? 表情に、『嫌』とか『どうしよう?』とか『なんで?』とか出まくりなのに? あんま意味なくね?」
 胸がズキズキと痛む。桃華さんが言っていることも正しければ、きっと海斗くんが言っていることも間違ってはいないのだ。
 話をどう収拾したらいいのか、と考える反面、この三人は私の内面を見てくれる気がした。ちゃんと、"私"を見てくれる気がした。
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