光のもとでⅠ
 お母さんがテーブルに乗っていた小さなグラスを手に取り、
「これに一杯飲んだだけで潰れちゃったわ」
 と、クスクス笑う。
「あっ……その酒」
 蒼兄が吸い寄せられるようにダイニングへ向かう。
「碧はそれ好きだなぁ……。これなら湊も二杯目を飲みたがったんじゃないか? 栞、グラスをひとつ頼む」
 と、静さんも席に着く。
 その酒瓶には「雅」という文字が書かれていた。
 その漢字を見るだけでも胸がきゅっと締め付けられる気がする。
 そんなとき、
「翠、今日はどうするの?」
 先輩の声が後ろから聞こえた。
 そちらを振り返ると、本から顔を上げた先輩が眉間に少しだけしわを寄せて私を見ていた。
「きょ、う……?」
「あぁ、今日は帰るとしてももう蒼樹しか運転できないな」
 お父さんの言葉に蒼兄がはっとしたような顔をした。
 蒼兄は酒瓶と私を交互に見ている。
 家ではあまり飲まないけれど、蒼兄も日本酒が好きなことは知っているし、お母さんが好きなお酒が時期限定であることも知らないわけではなかった。
「そういえば、蒼樹くんも飲める口だったな? 良ければ私の相手をしてくれないか?」
「でも――翠葉、どうしたい?」
 まるでライフカードの選択にでも迫られているかの蒼兄の表情。
「知らなかったわ。蒼くんもお酒好きなのね? 翠葉ちゃん、今日はうちに泊ったらどうかしら? 下着の換えくらいはあるし、明日は引越し騒ぎで学校どころでもないでしょう?」
 栞さんがトレイに切子グラスとハーブティーを乗せてやってくる。
 私にはハーブティーを、蒼兄と静さんには切子グラスを。
「今日は私も零もここに泊るつもりで来てるのよ」
 と、お母さん。
「湊もあのままじゃ今日はここから動かせないし、うちの十階は満員御礼だな」
 と、静さんが笑う。
「えぇと……俺は――」
 なんだかおかしい。
 蒼兄はお酒を飲みたくて、でも私を気にして悩んでいるのだ。
「蒼樹は下の部屋を借りればいいよ」
 お父さんが言うと、
「それでもかまわないよ。着替えも一通りのものは部屋に常備してある」
 と、静さんが請合う。
「……栞さん、お言葉に甘えてお泊りしてもいいですか?」
 訊くと、にこりと柔らかい笑顔を添えて「大歓迎」と言ってくれた。
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