光のもとでⅠ
 今日は日曜日。とくに何も予定は入っていないけれど、やるべきことはたくさんある。
 あと、約一ヵ月半でタイムリミットを迎える課題の数々。そして、ここ一週間は全く触れることができなかったハープとピアノ、撮った写真の整理など――。
「……まずは勉強、かな」
 午前中は課題をこなすことに集中する。
 現国が終わり、次に手にしたものは化学だった。化学式もパズルのようで好き。化学や生物はわからないところがあると栞さんが教えてくれたりする。さすが看護師さん。
 一週間のうち、日曜日だけは栞さんが来る時間が違う。それでも七時半には朝ご飯を作り始め、八時には朝食の用意が整う。
 学校が始まってからは一緒に料理をする余裕もなくて、日曜日くらいは……とささやかながらサラダを作る手伝いをした。
 ドレッシングも手作り。私のお手製梅ドレッシングは家族に評判がいい。
 両親は朝食を済ませると食後のコーヒーを飲む間もなく、慌てて出ていった。
 相変わらず忙しいみたいで、昨夜話していたアルバムもソファの上に置かれたまま。
 蒼兄もレポートの資料を探しに大学へ出かけたため、今家にいるのは私と栞さんのふたり。

 栞さんとふたりのときはリビングのローテーブルで勉強をすることが多い。
 お昼が近くなると、栞さんがキッチンで野菜を刻み始めた。
 今日はなんだろう?
 カウンター越しににそっと覗くと、
「今日はトマトのリゾットよ」
 トマトのリゾットはシンプルな料理ながら、とても美味しい。
 みじん切りにした玉ねぎとベーコンをフライパンでよく炒め、カットトマトとコンソメを入れてひたすら煮詰める。そこへご飯を入れ、最後にお塩で味を調える。
 器に盛って、とろけるチーズかパルメザンチーズを振りかけ、最後にパセリのみじん切りを散らせば出来上がり。
 今日はとろけるチーズらしく、チーズを乗せてから電子レンジで一分間加熱した。
「さ、食べましょう!」
 栞さんがリゾットを持って行ってくれたので、私はガラスのコップと冷蔵庫からルイボスティーを取り出し持っていく。
 席に着くと、私の席に小さなピンクのプラスチックケースが置いてあった。
 不透明で中は見えない。
「それね、基礎体温計っていうのよ。開けてみて?」
 コンパクトのようになっているそれを開けると、中には体温計の先っぽだけのものが本体につながっていて、液晶画面といくつかの操作ボタンがついていた。
「そろそろきちんと基礎体温をつけたほうがいいと思うの。遅くなっちゃったけど、私からの高校入学のプレゼント」
「栞さん、ありがとうございます」
「どういたしまして。これね、アラームってボタンを押すと目覚まし時計をセットできて、毎朝アラームが鳴ったらお布団の中で横になったままの状態で計るの。舌の下側に入れて計るのよ」
 ボタンを押すと時間設定画面が表示されたので、私はいつも起きる時間をセットした。
「これをつけていると生理周期もきちんと把握できるし、自分で体調管理するのにも役立つと思うわ。もちろん、毎日の血圧測定は必ずするけどね」

 リゾットは、トマトの酸味と玉ねぎの甘みとベーコンのしょっぱさがとてもバランスよくて美味しかった。
「学校はどう? 格好いい人いた?」
 食洗機に食器を入れながら訊かれる。
「あ、いましたよ。すごく格好いい人。二年生で生徒会役員の人」
「あら、蒼くんよりも格好いいの?」
 食いつき良好な栞さんがハーブティーを持ってキッチンから出てくる。
「蒼兄とは……少しタイプが違う気がします。黒いサラサラの髪の毛で、陶器みたいに白い肌て顎が細い人。体の線も細いかな……?」
「……すごく興味あるわ。今度学校にもぐりこんじゃおうかしら? あ、そう言えば、私の親友が今学校の校医しているのよ。以前話したことあるでしょう? 親友が女帝だったって。彼女なのよ」
 それは、湊先生のこと……?
「もう会ったかしら? 藤宮湊」
「……お会いしてます。しかも――さっき話した格好いい人のお姉さんです」
「えっ? 楓くんはもう社会人だから司くんっ!?」
「え、あ、はい。司先輩……」
「あらぁ……翠葉ちゃんたら面食いね」
 栞さんはクスクスと笑いながらお茶を飲んだ。
 何か勘違いされている気がしてならない。
 格好いい人とは思ったけれど、好きな人ではない。そう言おうとしたら、
「今、高校っていったら誰がいるのかしら……。秋斗くんに海斗くん、司くんに湊。それから梓(あずさ)と……修司(しゅうじ)おじ様と圭吾(けいご)おじ様くらいかしら?」
 はい……?
「あの……栞さんて、もしかして藤宮の方なんですか?」
 それは藤宮学園出身ということではなく、家が、という意味で。
「あら? 話してなかったかしら? 私の旧姓は藤宮なのよ。結婚をして神崎になったの。湊たちとは曽祖父が一緒だから再従兄妹(またいとこ)って関係」
 続柄まで教えてもらってさらにびっくりした。
 どうしてこんなに藤宮の縁者が多いのだろう? 藤宮学園という場所がそうさせるのだろうか。
 因みに、うちはお父さんが一人っ子でお母さんには弟がいるけれど、自由気ままな叔父は未だ結婚しておらず、従兄妹と呼べる人たちがいない。
「親族の集まりが大変そうですね」
 何気なく口にした言葉だったけれど、栞さんはさもありなん、といった顔をする。
「もうね、おせっかいな人が多くって……。高校卒業したくらいからお見合い話が来るのよ? それも一件や二件なんてかわいいものじゃなくて……。それから逃げるためにどれだけ手を駆使したことか。今だと秋斗くんや楓くんが大変なんじゃないかしら? そろそろ司くんにも来るかしらね」
 まるで他人事のようにクスクスと笑う。
 財閥の血筋ともなると大変なんだな、と私は他人事のように聞いていた。
 お見合いなんて、うちではあり得ないことなだけに、別世界の出来事を聞いている感じ。
「湊先生もご結婚なさってるんですか?」
「湊は独身だけど、彼女に口出しができるのは現会長、湊のおじい様くらいなものね」
 そんな会話をしていると、一時半を告げる鐘が鳴った。
「あら、もう一時半? 翠葉ちゃんと話しているとあっという間だわ」
 言いながらエプロンを外し、
「また夕方に来るけど、何かあったら連絡してね」
「はい」
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