光のもとでⅠ
「翠葉、起きられる?」
 ん……。
「まだ眠い?」
 薄っすらと目を開けてびっくりした。
「きゃっ……」
 大声を出す寸でのところで口を塞がれた。
「人をよく見てから大声出しなさい」
 ドスの聞いた声を発したのは顔を引きつらせた湊先生だった。
「びっくりした……」
「こっちのほうがびっくりするわよっ。ったく、何度人を司と間違えたら気が済むのよ」
 ぶつくさと文句を言われる。けれども、そのくらいよく似ているのだ。
 湊先生はモニターのチェックを始め、ステンレスのトレイに用意してきた薬を点滴に入れる。
「熱は三十七度八分、と。なかなか下がらないわね。寒気は?」
「ないです。むしろ熱いくらい……」
 答えると、ナースコールを押す。
『はい。御園生さん、どうされました?』
 スピーカーから聞こえてきた声に、
「湊です。アイスノン持ってきてください」
『はい』
 視線を私に戻し、
「何か食べられそう?」
「……食べたくはないです」
「あぁ、そう。じゃ、重湯持ってこさせようかしら」
 と、笑みを深めた。
「食べられないんじゃなくて、食べたくないだけでしょ?」
「…………」
 無言になると、「無言は肯定」と容赦なく切り落とされる。
 先生はもう一度ナースコールを押すと、「重湯を追加」とオーダーした。
 それから十分と経たないうちにアイスノンと重湯が運ばれてきた。
「翠葉、食べながらでいいから聞きなさい」
 それまでとは少し違う雰囲気で言われた。
 そして、白衣のポケットから黒っぽい箱を取り出す。
「これね、GPSの探知とバイタルチェックができるディスプレイなの。こっちがバイタルとGPSを発進する側」
 テーブルの上にふたつのアイテムが乗せられる。
 ひとつはゲーム機と変わらない大きさのディスプレイ。それにはいくつかのボタンがついている。
 もうひとつは、幅一センチくらいの曲線が美しい……バングル?
「このバングルをつけていれば、どこにいても翠葉のバイタルチェックができる。不整脈や血圧低下、脈拍数まで。異常があればすぐに知ることができる。何か起きたときにはGPSで居場所を特定することもできる。そういう装置」
 ……なんのために?
「これ、つける気ある?」
「……それは、常に誰かに監視されているということ?」
「GPSで居場所を突き止めるなんて、よほどのことがない限りしないわ。ただ、バイタルのチェックはずっとしてる。どうしてだかわかる?」
「……いえ」
「翠葉が自分を大切にしないからよ」
 思わず目を見開く。
 湊先生の言葉はとても簡潔で、ひどく心に刺さる言葉だった。
「あんたは人に助けを求めない。……わかってるわよね? その結果、死ぬ恐れだってあることは」
 ごくりと唾を飲み込む。
 決して、直接的にそう考えたことがあるわけじゃない。
 でも、私がしていることや、時々消えてしまいたいと思うことは――つまりはそういうことなのだ。
「先生……私――」
「わかってる……。自殺願望ってわけじゃないんでしょ? ただ、気持ちに押し潰されそうで苦しくて、だからそういう選択をするんでしょう?」
 涙腺が壊れたんじゃないかと思うくらいに涙がたくさん、次から次へと流れてくる。
 湊先生がベッドの脇に座り、肩を抱いてくれる。
「今の翠葉に具合が悪くなったらすぐに言えって言っても難しいと思うの。言ってもらえたらこっちは助かる。でも、それで体を守れても翠葉の心には負担になる。……それじゃ元の木阿弥なのよ。だから、翠葉の代弁してくれるための装置があったら助かる」
「でも、それは常にバイタルをチェックしている人が必要になるのでしょう?」
「そうね。私と秋斗、それから蒼樹は常にパソコン上からチェックできる環境を整えるでしょう。それが何?」
「……そこまで気を遣われるのはつらいです」
「バカね。一緒にいられない、どこかでひとりで倒れてるかもしれない。そんな不安からは解放されるのがこの装置の利点でしょうが……。少なくとも、あのシスコン兄貴にとっては宝物級の代物じゃないかしら」
 不安から解放、される……?
「これね、本当は秋斗から蒼樹への誕生日プレゼントだったの。それを私が一足先に拝借してきたの。あまりにも蒼樹が翠葉の心配ばかりしてるからって、秋斗が蒼樹と翠葉のためにだけ開発したアイテムよ」
 そう言って、バングルを私の手に持たせる。
 ひんやりとした銀色の金属。唐草模様を彷彿とさせる曲線がデザインになっている。
 とても、バイタルのチェックをするような装置には見えない。どう見ても普通のバングル。
「そっちは翠葉の誕生日にプレゼントしようと思ってたんですって」
「秋斗さんが……?」
「えぇ。実のところ、携帯にはすでにGPSが仕込まれてるみたいよ? 秋斗なんかにホイホイ携帯渡しちゃダメよ。何を仕掛けられるかわかったもんじゃない。今度から気をつけなさい」
 あまりにもびっくりし過ぎて、私は何を言うこともできなかった。
「あら、びっくりして涙が止まったかしら?」
 あ、本当だ……。
「あの男、忙しいくせにそういうことにはマメなのよ。もっとも、あんなところに引き篭もって遠隔操作で仕事を済ませようとするから、色々と仕事が増えるのに……」
 まるで秋斗さんがあそこに引き篭もっているかのような物言いに唖然とする。
「あら、信じてないでしょ? 秋斗はね、ゆくゆくは藤宮警備、さらには藤宮を継ぐ人間よ? 本来なら本社で働くべき人間が、人間関係が面倒くさいって理由であそこに仕事場かまえて、通常の業務のほか、学園のセキュリティなんて仕事抱えてるんだから物好きとしか言いようがないわ。しかも、こういった小物を開発するのが趣味。間違いなくオタクよ」
 ここまではっきりと、バッサリと言い切られてしまうと何を言う気も起きない。
 ただ、秋斗さんがすごい人であることと、湊先生にオタク呼ばわりされていることはわかった。
「で? 付けるの? 付けないの?」
 訊かれて、手元のバングルに視線を落とす。
「付けないっていう選択肢もあるんですか?」
「ないわね」
 キッパリと言われてまた絶句。
「っていうか、これを付けてくれなかったらあんたの命の保証はできないわ。……少し考えてみなさいよ。これを付けることによって、蒼樹やご両親はあんたの"死"って恐怖からは多少なりとも解放されるのよ?」
 あ……。
 ずっと見つめていたバングルから視線を上げる。
「先生、これ、付ける……。これを付けたら、少しは蒼兄やお母さんたちが安心できるのでしょう? それなら付けます」
「……あんたは家族が大好きなのね」
「はい……。すごく、大切な人たち。私の人生に色を付けてくれた人たちだから」
「……こんなにも真っ直ぐ翠葉に想われてる人たちが羨ましいわ。若干妬けるわね」
 先生の表情が優しいものとなる。
「湊先生も大切な人のひとりですよ? ……高校に入ってから、急に大切な人たちが増えてしまって……。とても幸せだと思うのに、この手から零れ落ちていくんじゃないかと思うと怖くて……。でも、手放したくなくて……。でも、いつかは手放さなくちゃいけなくなるような気がして……。幸せなのに、それ以上の恐怖がいつも心の片隅にあります」
「バカね。手放したくないなら、紐でもつけて手綱だけしっかり握っておけばいいのよ」
 そんな言葉にまた救われる。
「それ、付けるとしたら腕か手首だけど、上腕の方が心臓に近くていい。それに、上腕なら制服で隠れて見えない」
 そう言って、私の手にあったバングルを湊先生が手に取った。
「それなら腕に……」
「これ、一度付けると特別な磁気を近づけない限りは外れないの。それでもいい?」
「はい」
 迷いはなかった。
 答えると、左腕にバングルが装着される。
 ひんやりと冷たいそれが腕にピタリとはまった。まるで、私のためだけに作られたかのように……。
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