蝉の影


車椅子で、ぬかるんだ道を進む。

まだ蝉は鳴かない。

青々とした葉の影が、美代子を包み込む。



―――…

まず最初に美代子がやって来たのは墓地だった。

深い底に眠っているのは、夫である昌樹(まさき)だ。

昌樹はとても出来た男だった。

日常の家事はもちろん、大掃除や自治会活動にも積極的に参加し、いつも朗らかに微笑みを浮かべていた優しい男だった。

だからこそ、美代子は昌樹に苦しめられた。

美代子の心にへばりついて取れない記憶は、一生を誓った昌樹に失礼なものであるが故に。

職場先の取引相手が昌樹であったことが昌樹との出会いであった。

昌樹はあのひとの次に大切な人であり、美代子の数少ない信頼できる人だった。

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