エスメラルダ
 儀式が終り、昼食の後はパレードである。
 食事中は重要な外交タイムであったが、ブランシールは敢えて兄の手伝いに出ることはなく、身重の身でありながら儀式に臨んだレーシアーナを労った。
 ブランシールは怖かったのだ。兄に近づき過ぎる事が。
 また嵐の海に溺れるように兄への想いに溺れたくはなかった。
 ブランシールはただ、レーシアーナの為に生きたかった。レーシアーナの為だけに。
 それが婚姻の意味ではないのか?
 兄上、私はレーシアーナをただ一人と定めた。貴方ではなく、レーシアーナを。
 フランヴェルジュは、行きかう人々に無難な挨拶と小さな御世辞……御髪が以前より黒くなっていませんか? とか、そう言った他愛無い事……を振りまきつつ、ファトナムール王太子ハイダーシュの姿を探した。
 神殿でその姿を確かに見たのである。名簿にも名がしたためられていた。
 だからこの部屋にもいる筈であった。
 神殿の儀式だけ見て、それで帰るような使節はいない。役目が何にも果たされていないではないか。それにハイダーシュはかなりの頭脳と鍛え上げられた身体を持つ事が、このスゥ大陸の常識であった。
 馬鹿ではないということである。
 ホール『風切り羽根の間』の何処かにいる筈だ、居たら解らぬ筈がない。ハイダーシュの乳色の髪と赤紫の瞳。あの色彩は目立つ。
「フランヴェルジュ様」
 エスメラルダは勇気を掘り起こして自分の婚約者の許に行った。
 今日、カスラに知らされた事をお教えしなくては。ハイダーシュが何を言わんとするか。
 そう思うのだが二人になる機会はまるでない。そもそもフランヴェルジュと過ごす時間はないに等しい。
 エスメラルダはそれが寂しい。
「何だ? エスメラルダ」
 フランヴェルジュがそう言って後ろを振り返った。愛しい少女。フランヴェルジュの宝。
 その時、エスメラルダとフランヴェルジュの立っている位置から丁度斜め向かいの隅に雀蜂の大群でもいるかのような猛烈な音が響きだしたのである。
 ぶ~ん、ぶん、ぶん。
 淑女達が集っているようだった。
 その中央に乳色の髪を見つけ、フランヴェルジュはエスメラルダの動きを手で制すると、雀蜂もとい淑女達の輪の中に入っていった。
「陛下!?」
「フランヴェルジュ様!?」
 淑女達の悲鳴を無視して、フランヴェルジュは肝心要の相手に挨拶をした。
「ファトナムール王太子殿下、お久しゅう」
「メルローア国王陛下、お久しゅう。丁度貴方の許に向かおうとしたのですがやんごとなき身分の淑女達に囲まれてしまって……」
 ハイダーシュの口調は困った事だと訴えていたがフランヴェルジュは騙されなかった。赤紫の瞳に、確かに挑むような光があったのだ。二十五だった筈だ。だがフランヴェルジュより年を重ねていても腹芸は出来ない様子。
 何か、撒いていた。
 淑女達があれほどまでに集るのは、よほどのゴシップか。
「淑女をむげにするなど、ファトナムールの宮廷では許されておりませんので、失礼つかまつりました。改めまして、昨日はご生誕二十一年を数えられた事、誠にめでたき仕儀にございまする」
「有難うございます。宜しければハイダーシュ王太子殿下、少し寒いですがバルコニーに出ませんか?」
 メルローアでは、パーティーの際、バルコニーには王、もしくは王太子とその選んだ客人しかいけぬ事になっていた。
「是非お願いしようと思っていたところ」
 ハイダーシュは唇だけで笑んだ。
 エスメラルダは脇の下を嫌な汗が伝うのを感じた。
 伝えられない。
 情報が足りないまま、フランヴェルジュはハイダーシュと向き合わねばならない。ハイダーシュは『あの話』をするつもりだろう。
 エスメラルダの思惑をよそに、二人はバルコニーに出た。
 カスラ。
 唇の動きだけでエスメラルダは命じる。
 話を一言洩らさず聞いてくるようにと。
 バルコニーでは、冷たい風が二人の髪をなぶった。
 肩甲骨まであるフランヴェルジュの金髪。
 後ろ髪は短く切られているが前髪は長いハイダーシュの白髪。
 二人はそれぞれ髪を押さえつけながら何から口にしようかと言葉を捜す。
 先に口を開いたのはハイダーシュだった。
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