エスメラルダ
「気を付けた方が……良いわね。もう大国の王太子妃になって使節の真似事などせずともいいでしょうに」
 そしてレーシアーナは予言する。
「……きっと風が動くわ。強い風がメルローアを駆け巡り神は嘆くでしょう」
 エスメラルダは胸の不安を言い当てられたような気がした。
 レーシアーナに、ファトナムールが戦を企んでいる事は告げていない。だけれども、その言葉は全てを知った人のもののよう。
「レーシアーナ、貴女……」
「皆、過保護すぎるわ。わたくしには何も聞かせようとしない。だけれども、昨夜、聞こえたの。陛下とブランシール様の声が隣の部屋から。ファトナムールは、戦を企んでいるのでしょう? どうしてだか知らないけれども。レイリエが唆したのかしら?」
「そんな事、貴女に聞こえるかもしれないのに隣の部屋で話し合っただなんて、陛下と殿下の迂闊さが信じられないわ。貴女は考えなくて良いの。身体を治すことが何よりも先よ」
 エスメラルダはそう言うと、最近何枚も持ち歩くようになったハンカチで、レーシアーナの額を拭った。
 だがレーシアーナは引かなかった。
「駄目よ、エスメラルダ。わたくしは、もう、侍女では……ないのだから。この国の未来は、ルジュアインの未来よ。考えなくちゃ……」
「考える事は男達に任せておけば良いのよ。確かにルジュアインの事があるから過敏になるのは解るけれども、ファトナムール如きがこの国を本当に蹂躙できると思う? 国力が違いすぎるわ」
「だったら……」
 レーシアーナは腹を膨らませて乳を吸いながら眠ってしまった我が子を自分の隣に横たえた。そして言う。
「何故こんなに嫌な予感がするのかしら? お願いよ、エスメラルダ……。貴女の知っている事全て教えて頂戴。わたくしには、……口惜しいけれどもわたくしには、殆ど知識がないのよ。侍女には……隣国の勢力なんて必要の無い知識ですもの」
 お妃教育も殆ど受けなかったレーシアーナ。
 それはメルローアにさえ広がるスゥ大陸の悪しき『常識』。
 『女に難しい事は理解出来ない』
 確かに教えられなくては知る由もない。
 だが、教えられなければ自ら知ろうとする強き女達もまた、存在する。
 エスメラルダもレーシアーナもそういう女であった。
 それは男の為であり子供の為でもある。
 女達は男を守る為に歴史の表面には出ないところで過酷な戦いに身を投ずるものなのだ。
「レーシアーナ、貴女、何から知りたい?」
 エスメラルダの言葉に、レーシアーナはその青い目に、理知の光と貪欲なまでの欲求を湛え親友を見詰める。
「何から何までよ。でも……そうね、本当に戦が起きようとしているのなら、何故、そんな時期にレイリエとハイダーシュがこの国を訪れたのか知りたいわ」
「それは……解らないわ」
 エスメラルダは正直に言った。
 レイリエはこの国に逃げ込む気なのだろうか? ロウバー三世が人質として己を使わんとしている事を察知して。
 だが、レイリエはこの国でも居場所が無い事を知っている筈だ。この国はレイリエを葬ろうとしたのだから。
「貴女にも……解らないの?」
「ご免なさい、レーシアーナ」
エスメラルダは素直に謝った。
「貴女なら陛下やブランシール様よりよく事情に通じていると思ったのだけれども、それでは陛下達にもお解りではないのでしょうね。では、他の……何から聞けば良いのかしら?」
 ふぅっと、レーシアーナは溜息吐く。
 その額には玉の汗。
「横になりなさい。その体勢は疲れるでしょう? 無理はいけないわ」
 エスメラルダの言葉に、レーシアーナは何も言わず従う。頭の下には氷枕があった。
 エスメラルダに情報が無いのはずっとレーシアーナに付き添っていたからだ。
 カスラと連絡を取る時間がなかった。
 それに、まさかレイリエがこのタイミングで乗り込んでくるとは思いもしなかった。
 だが。
 わたくしはカスラから、あの二人が玩具を買ったという報告を受けていたのだわ……!
 エスメラルダは己の読みの甘さを呪った。
 赤ん坊とレーシアーナの事にかまけすぎていた。
 だけれども、放っておける事ではないもの。
 言い聞かせ、エスメラルダは頭を切り替える。今はレーシアーナの質問に答える時だ。
 そして二人っきりの授業が始まった。
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