エスメラルダ
 しかしレーシアーナは譲らない。
 それが良いと言い、結局根負けしたエスメラルダはそれをフォビアナの許にもって行くという使いの役目まで果たしたのだった。
 ぱたん、と、扉が閉まるのを確認して、レーシアーナは崩れるようにその場に座り込む。
 
 ねぇ、ルジュアイン、母様を許してね。
 
 まただ、また溢れる、涙。
 涙が止まらなかった。
 泣いてばかりだ。
 あの日。
 血族の話を聞いて以来毎日のように見る同じ夢。同じ未来。
 その夢の示すところは解った。
 そして自分がどうすべきかも解った。
 問題は、それが出来るか不安になるほどレーシアーナが恐怖に駆られている事だ。
 守らなくてはならないものは沢山ある。
 そしてそれが出来るのはレーシアーナだけ。
 あの夢が妄想でないのなら、自分に出来る事は一つだけ。
 解っていても、恐怖が薄らぐものではない。
 それでも、自分は必ずそうするだろうという確信めいた思いがある。
 恐ろしい話。
 その時。
 こんこんと扉を叩く音がした。
 侍女たちを無視して入ってこれるのは王族と、エスメラルダだけ。
「レーシアーナ、わたくしよ、入ってよくて?」
 エスメラルダの弾むような声が聞こえる。
「え、ええ、いいわ」
 レーシアーナは大急ぎで涙を拭った。
 扉が開く。
「レーシアーナ、実はフランヴェルジュ様がね……どうしたの!?」
 エスメラルダは悲鳴のような声を上げた。
「え?」
 レーシアーナは思わず間の抜けた返事をする。涙はもう溢れていない。それなのに?
「床に座り込んだりして……どうしたの? 疲れているのなら休んだほうがいいわ」
 エスメラルダはそう言うとレーシアーナの許に駆け寄った。
 真っ赤な頬に走る涙の後に気付いて、エスメラルダは息を呑む。
「何があったの? それとも泣くほど体調が悪いの?」
「違うわ」
 明日花嫁になろうとする親友に、余計な気苦労はかけたくないと、レーシアーナは笑って見せた。
「一寸疲れただけよ、体調は平気。明日の式にはちゃんと参列するから、心配しないでね? 可愛いエスメラルダ」
「式が日延べできないのが何ともいえないくらい口惜しいわ。この日程はルジュアインの為の物だって解っているから自分を納得させようと思ってきたけれども」
 ぷぅっと、エスメラルダは頬を膨らませた。
 政争の、内乱の、火種をまかないように、ルジュアインとブランシールが利用されないように、王の正妃と嫡子が必要。
 解っている。
 だけれども理屈で片付かない事もある。
「貴女の体調が整ってからのお式では駄目だなんて、本当に腹がたつったら。大体、わたくしの結婚式でもあるのに、わたくしは何の意見も求められなかったのよ? 男の人ってそういうものなのかしら? 強引で、ずるい。沢山の人がわたくしの為に駆けずり回ってくれている事を知らなければ、逃げ出したい気分よ。強引だった事を、フランヴェルジュ様は後悔なさったら良いのよ」
 エスメラルダの剣幕に、レーシアーナは落ち着いた声で宥める。
「仕方がない事よ。わたくしの体調管理がなっていないことがいけないのであって陛下が悪くていらっしゃるのではないわ。それより、随分早かったのね。フランヴェルジュ様の事を言いかけていたけれども、どうしたの?」
 巧みに話題を変えられて、エスメラルダは気付かずそれに乗る。
 冷静な時のエスメラルダなら異常に気付いたことであろう。
 だが結婚式前日というそれがエスメラルダから平常心を奪っていた。
 何か嫌な予感はすっかり忘れさられ、代わりに小さな不満がこぼされ、そして、浮き立つ想いが心を占めた。
 レーシアーナと一緒なら不安も不満も忘れられたのである。
「あのね、フランヴェルジュ様がこれからお城を抜け出してブーケを作るんですって。職人の作ったブーケではお気に召さなかったらしいの。だから貴女のドレスを預けたのよ、フォビアナのところにも行くらしいから。ドレスの最終点検ですって」
 まぁ、と、レーシアーナは笑った。
「メルローアの国王陛下を使いぱしりにする女なんて貴女くらいよ」
「そうね」
 エスメラルダも笑う。
 二つの笑い声が重なり、生まれるのはハーモニー。
 だけれどもそれは、鎮魂歌の前奏曲。
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