エスメラルダ


 議会が大騒ぎを起こしている。
 それはフランヴェルジュの遅刻が原因ではなかった。
 朝議の間に向うフランヴェルジュの耳にも、その部屋からの喧々囂々の騒ぎは聞き取れたからだ。
 フランヴェルジュに張り付くように護衛役を買って出た近衛に、内心のうんざりした気分を悟られぬように溜息をついた。
「……初めての遅刻なんだがな」
 近衛は背筋を伸ばしたまま、「はい」と返事する。
 フランヴェルジュの足が止まった。
 朝議の間についたからでもあったし、そこから漏れる言葉の所為でもあった。
 王の到着を告げようとする近衛と、朝議の間の扉の前に控える騎士に黙るように身振りで示した。
 そして耳を澄ます。
「……では……を、御認めに……ならない……」
「あれは…神罰ではなく……」
「否……しかし確実に……穢れが」
「血……」
「他の女子を……種馬では……れない」
 ぴし、と、フランヴェルジュの額に血管が浮いた。
 何を話しているか大体見当がついたからだ。
 ふざけるな!!
 フランヴェルジュは思い切って扉を開けた。
 その役目を担っていた騎士達が狼狽えながらも王の到着を告げる。
「かしこみー、かしこみー、いと偉大なる……」
「五月蝿い!!」
 フランヴェルジュは騎士を一括した。
 ひっと騎士が身をすくませる。
 いつもなら下のものを丁寧に扱い、大事にせよという亡き父王の教えを忘れたりはしない。
 だが、今は心の余裕がなかった。
 朝議の間は水を打ったようにしん、と、静まり返っている。
 フランヴェルジュの怒号に驚いたのだろう。
 フランヴェルジュはゆっくりと国王が座す席に向った。
 毛足の長い緋色の絨毯が足音をかき消す。
 殊更ゆっくりと、フランヴェルジュは席に向う。周囲を睥睨しながら。
 家臣達は立ち上がり、頭を低くして礼をとった。そんな彼らを見やるフランヴェルジュの唇には笑みがある。
 冷たく、凍りつくような笑みが。
 やがて、玉座に負けずとも劣らぬ作りの席に座し、フランヴェルジュは足を組み、顎をしゃくりながら言った。
「席に着け。今日の余は機嫌が良くない。大事な義妹の国葬の準備は今日中に済ませてしまわなくてはならぬ。明後日が葬儀である故にな」
 いつものフランヴェルジュならまず遅刻を詫びたであろう。
 いつもと違う王に、家臣達は嫌な汗が流れるのを感じた。
 ただ一人、レーノックスを除いては。
 レーノックスは笑いをこらえる事に苦労する。この若造に頭を下げるのも後暫しの辛抱よ、そう思うと愉快でたまらない。
「宰相、余が参る前に持ち上がった議題は何ぞ? 説明せよ」
「エスメラルダ・アイリーン・ローグ嬢の事にございます、陛下」
 レーノックスはよどみなく答える。
 家臣達は恐れの青や怒りの赤に顔を染める。
「余が『妃』がどうしたというのだ?」
「まだお妃様ではございません」
 レーノックスの言葉に、ふん、と、フランヴェルジュは鼻を鳴らした。
 そう来ると思っていた。
「余の妃ではないとすれば、エスメラルダは何ぞや?」
「貴族の位を剥奪されたローグ家の娘、先日までは王弟妃様の御話し相手でありましたが、今は何の任もない、ただの娘です」
「……我が妃を愚弄するか?」
 フランヴェルジュが睨みつけようとも、レーノックスは飄々とした態度を改める事無く続けた。
「ホトトルの水をお与えになっていない。いまだ婚姻は成立せず。そしてこれからも成立する事はないのです。王弟妃様を喪う事になった惨劇。あの花嫁は不吉を運びました。神殿を血で穢しました。それ即ち神の御意志。エスメラルダという娘はメルローアに相応しくないという神の怒りが招いた事!」
 フランヴェルジュの金色の目が煌いた。
「ほう」
 この男がレーシアーナを殺した犯人かもしれないと、ふとフランヴェルジュは思った。
 やりかねない、この男なら。
< 159 / 185 >

この作品をシェア

pagetop