エスメラルダ
 沢山の男からダンスのパートナーと求められて、エスメラルダの小さなダンス靴は穴が開きそうだった。
 ダンスパーティーで靴裏に穴が開いたら大成功だと言う。だが、エスメラルダはそんな成功は欲しくなかった。
 曲の合間合間にレーシアーナがエスメラルダの様子を見に来るが、不満を露わにした表情をする訳にもいかず微笑を送ると、レーシアーナは安心してブランシールの腕の中へ戻っていった。
 エスメラルダは特定の相手がいるレーシアーナが羨ましく思う。
 一番辛いのは踊り疲れてへとへとになることではなかった。ダンスなら一晩と言わず毎日でも踊っていられる。
 辛いのは自分のパートナーを取られた淑女達の視線だった。
 まるで何人ものレイリエに睨まれているようだと思う。
 怖いというのがエスメラルダの正直な感想だった。
 レーシアーナは良いわね。
 そう思いながら、こっそりと、エスメラルダは夜風に当たろうと庭園に出た。周りの者はエスメラルダがご不浄に行ったのだと疑いもしないであろう。
 エスメラルダはレーシアーナの友でありながらレーシアーナの苦しみを理解していなかった。何故ならレーシアーナはそれを伝えようとしなかったから。自分がどれ程の涙と葛藤の末ブランシールに『侍女』ではなく『妻』として仕えようと思ったかなどと。
 庭園の風は涼しかった。
 心地良いとエスメラルダは思う。
 自然愛好家のランカスターに育てられたエスメラルダである。人混みよりも美しい庭園の方にどれだけ安らぎを見出せるか知れない。
 自然のまま、手が入っていなければ言う事もないのだけれども。
 その時である。

「エスメラルダ」

 それは此処にいてはならない人の声だった。
「国王陛下!?」
 フランヴェルジュ・クウガ・メルローア・
 この国の王が何故庭園に?
「そんな驚いた顔をするな。俺は嫌われているのだろうかと心配になる」
 フランヴェルジュは仏頂面をした。
 それは初めてあったときにも見た事がないような素のフランヴェルジュで、エスメラルダは思わず笑ってしまった。
「俺を笑うなどと、そんな事を許すのはお前だけだ。お前は俺で笑うが良い。たまには道化も良いものだ。お前が笑ってくれるなら」
「いえ、失礼しました、陛下」
 エスメラルダはそう言うと、正式な礼をとった。
「陛下の行く道に安寧を」
 それはこの国の者なら誰でもが国王に言う言葉だった。王者の道は険しい。余りにも。
 剣先の玉座、有刺鉄線の冠。
 それらを戴き、孤軍奮闘するのが王だ。それは誰にも代わりを務める事出来ぬ役目だ。
「そんなありきたりの挨拶などいらぬ。エスメラルダ・アイリーン・ローグ」
 エスメラルダは顔を上げた。
「ありきたりの挨拶がお嫌でしたら、どのような挨拶だったら宜しいのです?」
「そうだな……」
 フランヴェルジュは考える振りをして一歩、二歩、エスメラルダとの間合いを詰める。
「今夜は満月か。知っているか? ブランシールの部屋に『望月』がある」
「まぁ」
 エスメラルダは驚いた。あの懐かしい絵。
「俺は満月が好きだ。欠けぬところが良い。そんな気持ちを贈りたいと思う」
「?」
 エスメラルダは間の抜けた顔をした。
 その瞬間、頤を大きな手が掴み顔が迫る。
 口づけ。それは初めての。
 人の舌が甘いものだと言う事をエスメラルダは初めて知った。
 そして唇が離れる。吐息が絡む。
 エスメラルダの緑の瞳が、潤む。
 わたくしは嬉しかったの? 嫌だったの?
 気持ちは解らない。
 フランヴェルジュが袂から小さな箱を取り出し、開けて見せた。
 そこには、エメラルドの耳飾り。
「お前に送ると約束していた耳飾りだ」
「わたくしには頂く謂れは……」
「黙って受け取れ」
 エスメラルダは頷いた。何故頷いたのか、彼女にも解らなかったのだけれども。
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