エスメラルダ
 フランヴェルジュは『真白塔』の最上階から外を見ていた。
 エスメラルダが今日、帰ってくる!!
 まずはブランンシールとレーシアーナの事を何とかしなくてはならなかった。その事については母に何か考えがあるらしい。
 難しいことは母上にお任せしよう。
 フランヴェルジュは元来思考用に向いてない頭をさっさと切り替えてエスメラルダとレーシアーナの乗った馬車を探していた。
 遠眼鏡であちらこちらを覗いていたフランヴェルジュはやがて車寄せに、質素に見えるがその実贅を尽くしたお忍び用の馬車を発見する。フランヴェルジュがよくブランシールと共に街に繰り出すときに使った馬車だ。
 気付けば遠眼鏡を投げ捨てていた。
 あったものは元の場所に置かなくては気が済まないフランヴェルジュが、である。
 階段を駆け下りる。
 素晴らしい速度で駆け下りる。
 エスメラルダ!
 フランエルジュの胸の中にはその言葉しかなかった。弟の事も忘れた。弟の婚約者の事も忘れた。だが。
 扉の前にアユリカナが立っていた。
「迎えに出る事は許しません。フランヴェルジュ。もうすぐこの塔に二人は入ってきます。貴方は軽々しく動いていい身分ではない。解りますか? メルローア国王陛下」
 ぎりっと、フランヴェルジュは唇を噛んだ。
 国王。
 その言葉、その地位故にどれほどのものを得ただろう? そして失ったであろうか?
 愛しい女を迎えに行く事も出来ぬのですか? 母上。
 しかし、すぐに使いの者が扉を叩いた。馬車を走らせてきた御者だ。
「到着致しました!」
「通しなさい」
 フランヴェルジュが何か言う暇もなく、アユリカナが命じる。
 ぎぃぃと扉が開いた。
 そこには二人の美しい少女がいた。
 黒髪を軽く結ったエスメラルダは頬を赤く染め、そして妊婦であるレーシアーナの手を引いていた。レーシアーナの顔は、エスメラルダとは逆に蒼白であった。
「二人とも、お帰りなさい」
 アユリカナが優しく微笑んでみせる。
「さぁ、二階に行きましょう。ブランシールは今眠っていると思います。まだ夜明けから間がありませんものね。フランヴェルジュ、レーシアーナを抱きあげて頂戴。妊婦に階段は危険だわ」
「も、勿体無うございます! アユリカナ様!! 陛下の御胸になど……」
「構わん。そなたは我が妹になる身ぞ。何を遠慮する事があろうか」
 フランヴェルジュはそう言うとさっと腕を伸ばしレーシアーナを抱き寄せ、そのまま横抱きにした。
「随分、大きくなったものだな」
 フランヴェルジュは不思議そうに言う。
「何が、でございますか? 陛下」
 エスメラルダは精一杯感情を抑えた声で問うた。
 まだ優しい言葉一つ、愛情溢れる言葉一つ貰っていない。確かに、無理がある状況だが何とか、して欲しかった。
 離れていた二ヶ月の間に夢は消え去った?
「いや、腹がだ。女性とは不思議なものだ」
「だから男は女を守るのです」
 アユリカナが言った。
「守るべきもの、大切にするもの、愛しむもの。女は子を産む道具では決して無い。だけれども、どんな偉大なる王も女の腹の中で育まれ、生まれ、名を残したのです。さぁ、無駄話をしている場合ではないわ。上へ」
 階段は薄暗く、狭かった。人一人通るのがやっとの幅しかない階段でレーシアーナは自然フランヴェルジュにしがみつくような形になる。それがエスメラルダには辛かった。
 別にレーシアーナが悪い訳ではないと解っているのだ。だけれども。
 フランヴェルジュ様はわたくしのもの……。
 その筈なのに視線も合わせられない。この階段を昇るまで。
 先導していくのはアユリカナその人。そしてしんがりがエスメラルダだった。
 ぎぃっと扉が開く音がして薄暗かったその場に光が差した。
 その光の中にアユリカナが、レーシアーナを抱いたフランヴェルジュが消え、エスメラルダも慌てて飛び込んだ。
 そこは天蓋付きのベッドが殆どを占める小さな部屋だった。
 そのベッドに上半身を起こし、ブランシールが淡く微笑んでいた。
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