恋の花咲く事もある。
ロケット
思わず声を荒げてしまったラゼリードは一つ息を吐くと口元を手で押さえ、エルダナから視線を逸らした。
 相手を見ていられないのだ。
 エルダナは底光のするざくろ石の瞳で静かにラゼリードを見ている。その視線はラゼリードにとって、今まで誰にも向けられた事の無いものだった。彼は、彼女は、王子であり王女であり、そしてラゼリードの父は我が子を溺愛していた。ラゼリードの父はどんな事があっても彼女──または彼──をきつく咎めたりはしなかったのだ。
 未知の恐怖に身が竦む。
 エルダナはラゼリードの手袋を手に持ったまま少し目を閉じ、考え込む様に低く唸った。
「ふむ。密命ですか。ひょっとしてあの事かな?」
「あの事?」
 ラゼリードが顔を上げて問う。エルダナがもそもそと言葉を濁した。
「ああ、その話は後にしましょう。兎に角、貴女はハルモニアの指輪を手にしている。それは本人から渡された物か否か?」
「名前を伺っていないので王太子殿下本人なのかどうかは分かりません。わたくしに指輪を嵌めたのは、12~13歳の年の頃の少年です。髪は黒く、赤い瞳をした」
「私に良く似て申し分のない程愛らしい少年ですか」
「そう、可愛らし……。…………」
 ラゼリードは気付いてはいけないところに気付いてしまい、言葉を失った。
 まさか。この方は。
「どうかしましたか?」
「いえ……」
 エルダナが至って真面目な顔で訊いてくるので、彼女も微笑みを浮かべて言葉を濁さざるを得ない。
「ですがわたくしがいくら姿形の特徴を上げても、もし万が一、他人の空似でしたらどうなさるのですか?」
 ラゼリードが問い掛けるとエルダナは再び顎髭をさすりながら──癖なのだろうか── 頷いた。
「実物を見て頂くのが一番早いかとは思いますが、今は何分ハルモニアが何処に居るのか分かりませぬ。父親としては大変問題のある発言ですが、あやつが王宮に帰っているのかすら分からないのです。ですから、所詮似姿ですが、此方を見て頂く事にしましょう」
 そう言ってエルダナはラゼリードに手袋を返すと、黒い礼装の懐に手を突っ込む。取り出されたのは赤みを帯びた金のロケット。ラゼリードに見える様に傾けながら、彼は片手で器用にロケットの蓋を開いた。
 ロケットの内側には、橙色の髪をまばらに生やした目も開いていない幼子の肖像画があった。
「まぁ。可愛い」
 ラゼリードの素直な感想に、エルダナが不自然な咳払いをした。
「ええ、妻に似て大変可愛らしいのですが……。失礼。この子は先頃生まれました私の娘でメレニアといいます」
「……そうですよね。いくらなんでも幼な過ぎるとは思いました」
 大体、黒髪ですらない。
 エルダナは書物の頁を捲る様に、肖像画の填め込まれた内蓋を捲った。
 内蓋の裏側にもメレニアの肖像画があった。こちらは少し成長したのだろうか、目を開けている。黒目がちなつぶらな瞳は琥珀色をしていた。
 ラゼリードは薄笑いを浮かべるしかなかった。エルダナが呪文でも唱える様な平坦な声音で呟く。
「……私は常々、女性の前では凛々しく、知的で冷静な男であらねばならないと思い、そうある様に努力して参りました。ですが娘とはいかんものですね。彼女の愛らしさの前では私は只の子煩悩な父親に成り下がる。……少々お待ち下さい。今、剥がれた化けの皮を張り直しますので」
 エルダナはパチンと音を立ててロケットを閉めると、懐に仕舞い込んだ。そして反対側の懐から今度は銀のロケットを取り出した。蓋を開く。
 そこには赤毛の女性と、女性の腕に抱かれた……
「き、妃とメレニアです……」
 笑うに笑えず、ラゼリードは微笑みを顔に張り付けたまま肩を震わせた。
 うなだれたエルダナが流石に情けない声を出す。後ろ髪と同じ長さのある前髪が垂れ、彼の表情を覆い隠しているが、ラゼリードは見なくとも彼がどんな顔をしているか大体見当が付いた。
 エルダナは顔を伏せたままロケットを自分の方に向け──多分確かめてから見せる事にしたのだろう──先程と同じ様に裏蓋を捲る。
 エルダナは顔の前に垂れた髪を空いている手で耳に掛けた。まるで何事も無かったかの様に冷静な表情をしている。
「正妃と……ハルモニア。私の息子です」
 ラゼリードの方へロケットを向ける。
 そこには少年と、黒髪の女性が描かれていた。
 少年はつんつんに跳ねた短く切られた黒髪。不揃いな前髪はとても短く、眉より上に毛先がある。
 垂れ目がちな大きな瞳は真紅の色。
 間違いない。昼間、男性の姿のラゼリードに『求婚逃げ』したあの少年だった。
 ラゼリードの表情が自然と険しくなる。エルダナが困った様に笑った。
「間違いない様ですね。……聞かせて下さい、事の顛末を。ハルモニアは何か事件に巻き込まれて指輪を奪われた訳ではないのですね?」
 ラゼリードはこくりと頷いた。言葉より仕草の方が彼女は饒舌だった。





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