恋の花咲く事もある。
花の香は
 背後で爆発した炎の気配に、ラゼリードはきつく目を閉じた。すると、何故かハルモニアが右手でラゼリードの頭を引き寄せた。
「え?」
 驚いて目を開ける。
 ハルモニアの顔が視界に映った。精一杯背伸びしているのか、顔が近い。その顔には先程の凶悪な笑みはない。
「驚かせてすみません。もう片付きました」
 耳に囁きかける声も優しい。
 では今の攻撃は何だったのか。
 疑問を脳裏に浮かべたラゼリードに構わず、ハルモニアはするっと彼から離れると戸口に近寄った。
「手加減はしたんだが……死んだかな? それならそれで構わないが」
 物騒な台詞だ。やはりこれがハルモニアの本性なのかも知れない。
 ハルモニアが床にしゃがみ込み、そこで初めてラゼリードは、戸口にあちこち火傷を負った煤塗れの男が倒れている事に気付いた。男は剣を握っている。
「今の攻撃はその男を?」
「そう。あなたを狙っていたから、気付かない振りをして引き付けてから吹っ飛ばした」
 ハルモニアがラゼリードの方を見た。
 剣を握ったままの男の手がピクリと動いた。
「ハルモニア!」
 起き上がった男がハルモニアに斬りかかるのと、ラゼリードがそいつを風圧で吹き飛ばすのは同時だった。男が壁に叩き付けられる。
「仕損じてた!? こいつ、火精か!」
 目を剥いたハルモニアが叫んだ時には、ラゼリードは剣を抜いて男に斬り掛かっていた。それも受け止められ、金属のぶつかり合う音が、燃え盛り、今にも焼け落ちそうな部屋に響く。
「くっ」
 男はこの組織の用心棒か何かだったのだろうか。相手が振るう剣の一撃一撃は重い。ラゼリードは手が痺れそうになるのを必死で堪える。
「アーシャ! 退け!」
 ハルモニアが背後から叫んだ。
「んな事言われても退けるか!」
 剣を交えながら背後に向けて叫び返した瞬間、注意が逸れた隙に相手が剣を押し返した。
「っ!」
 声を上げる暇も無く、強烈な一撃を食らってラゼリードは弾き飛ばされ、燃える布袋の中に倒れ込んだ。風が起きて、布袋から甘い匂いが立ち上る。
 だがその時、彼らの背後に居たハルモニアが焼けた梁に両手でぶら下がって、振り子の要領で勢い良く男の顎を蹴り上げる。顔面に蹴りを食らった男が鼻血を噴きながら倒れた。
 しかもハルモニアはブランコの様に一度後ろに揺られて前に戻ったかと思うと、梁から手を離し、倒れた男の胸の上に体重を掛けて飛び乗る。ゴキリ、と鈍い音がした。男が口から血を吐く。
「肋と腑、貰った! これで動けまい!」
 ハルモニアは勝ち誇った声を上げると、脇目も振らずにラゼリードの元へ駆け寄った。
「アーシャ! 無事か!? 怪我は無いか!?」
「ああ、大丈夫だ」
 青ざめた顔で火の海の中、呆然と座っていたラゼリードが立ち上がろうとするのをハルモニアが手を貸して助ける。
「燃えてない……。あなたは火精だったのか?」
「違う。私は風精だ。エカミナの御守りが私を火から守ってくれた」
 ラゼリードはポケットから夫婦石を取り出す。青く輝いているそれからは、水の滴る音が確かに聞こえた。
「うっ、水……。確かにエカミナとアレクサンドライトの夫婦石だな。見たことがある」
 ハルモニアが嫌そうに顔をしかめた。
「しかし……これがあっても、火の海は熱いな。早くここから出よう。 もう崩れそうだ!」
 ラゼリードの言葉に、ハルモニアが天井を見上げる。完全に炎の回った天井は今にも崩れそうになっている。
 ラゼリードは元通り夫婦石をしまうと落ちていた自分の剣を拾い上げた。
「行くぞ!」
「待て」
 ラゼリードが戸口に向かおうとするのを、ハルモニアが手を掴んで止めた。
「こっちの方が手っ取り早い」
「え?」
 ハルモニアが倒れている男の襟首をひっ掴む。彼はラゼリードの手を引きながら──男も片手に引き擦りながら──部屋の中で一番火の勢いの強い場所へ駆け出す。
「な、何を!? そっちは出口じゃ……!」
 剥目したラゼリードに、ハルモニアが少しだけ振り向いて笑ってみせた。
「あなたの事は俺が護ります! だから怖がらないで!」
 炎が異様に巻き上がり、駆け込んだ彼ら3人をすっぽりと包み込んだ途端、一階の筈なのに足下が崩れた。
 強い、眩しい光がラゼリードの両の目を射った。

 彼が再び目を開けた時、彼と、ハルモニアと、意識の無い男の3人は、炎で満たされた果ての無い奈落を落ちていた。
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