恋の花咲く事もある。
「変わった瞳の色だね? もしかしておにいさんも精霊かい? 何の属性の精霊なんだい?」

 まずい。本当の事は言えない。

 左目が赤、右目が紫だなんて風の精霊は、この世に一人しか居ないのだ。
 それは自分。
 精霊の血を交えた過去の無いカテュリアの王族中で、ただ一人、人間から精霊に変化したラゼリードだけ。

 上手い言い訳も思い付かず、不自然に言いあぐねていると、突然背後から走ってきた誰かにぶつかられた。

「失礼。エカミナ、リンゴが欲しい!」

 振り向くと、丁度隣にラゼリードの胸の高さ程の背丈の人物が滑り込んで来た。

 フードをすっぽり被っているので、外見からは判別出来ないが……声からしておそらくは少年。

 その人物は、店先のリンゴを猛然と掴むと、目にも止まらぬ素早さで奥さんに代金を渡した。そしてそのまま走り出す。

「若様~! これもどうぞ!」

 奥さんが、背後にあった氷の浮いた水槽から、水の入った瓶を取り出した。走って行く人物の頭上高くに、水滴が付いたままの瓶を投げる。

「ありがとうっ!」

 小柄なその人物が地面を蹴って飛び上がり、空中で瓶を受け取った。

 ジャンプした拍子にフードが脱げ、外套の背中に垂れ下がる。短く刈られた黒髪が露わになった。

 ラゼリードの予測通り、その人物は少年だった。12~13歳ぐらいだろうか? 瞳の色までは判らなかったが、肌はよく日に灼けていて、健康そうに見えた。

 彼は瓶とリンゴを掴んだまま一目散に駆けて行き、雑踏に紛れ込んで姿が見えなくなる。

「あの……若様って?」

 ラゼリードはつい今し方『エカミナ』という名前が判明した果物屋の奥さんに問い掛ける。

「若様は若様さ。かなりの美少年でねぇ。ウチの亭主も昔はあんなだったのに……」

 一体どんな顔の旦那さんですか。ラゼリードは訊きたくなるのを必死で堪えた。そんな事をしては再びお話責めにされてしまうのが簡単に想像ついた。

「エ、エカミナぁあ!」

「おや、じいやさん。今日も精が出ますねぇ」

 少年に遅れて、今度は老人が果物屋の軒先に走り込んで来た。ひゅうひゅうとおかしな呼吸音が口から洩れているのがとても恐い。

「全く! 若様ときたら、また逃げ出して! エカミナ! 若様を甘やかしてはなりませんぞ!」

「あら、見てました? うふふ、若様が脱水症状なんか起こされては大変でしょう?」

 奥さんはホホホ、と笑って追求をかわし、老人は『若様』とやらに対して思い付く限りの愚痴を並べている。

 どうやら奥さんの話し相手のターゲットは老人に移ったらしい。ラゼリードはこれ幸いと、果物屋に一礼して立ち去った。
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