身を焦がすような思いをあなたに
嵐の中
「何で来たの」

思わず朱理はそう言っていた。

「ええ!?」

風汰は、そう言ったけれど、予想通りの朱理の言い草に、笑いがこみあげてくる。


「だって、こんな天気の日に、わざわざ遊びに来なくていいでしょ」

朱理の言う通りだ。

今日は、寒い。それだけじゃない。風が強くて、みぞれまで降っている。こんな天候は、水の国ならともかく、この火の国では滅多にないことで、異常気象だと言ってもいいほどた。

「こんな日だから、来たんだ」

風汰が目をキラキラさせながら言うから、朱理は首をかしげる。
「よくわからないけど、早く中に入ったら。びしょぬれだよ。風汰は風邪引くでしょ」

一応、レインウエアのようなものを着ているけれど、フードの下からこぼれ落ちるグリーンの髪も顔も、すでに濡れてしまっている。

「子どもじゃないんだから、僕でもそんな簡単に風邪引かないって」

そう言いながらも、窓の外から、風汰が手を差し伸べた。

「どうしたの?なんで中に入らないの?」

朱理が、不思議に思ってそう尋ねると、風汰はにっこり笑ってこう言ったのだ。


「おいで。朱理、一緒に風に乗ろう」


乗れるはずないって言いかけたけれど、ふと窓枠に手を下ろしたとき、その石の冷たさに気がついて、朱理はそう言うのをやめた。

ひょっとしたら、風汰の手を取って、私も風に乗れるのかもしれない。


朱理が震える手を差し出すと、その手を覆っていたグローブはあっという間に雨と雪で濡れた。

風汰は、朱理の気持ちを知ってか知らずか、楽しくてたまらない、という表情のまま、するりと朱理のグローブを脱がせる。


「あっ」

思わず漏れる朱理の声も、一向に気にならないのか、風汰はためらわずに彼女の手を取った。

初めて風汰に会った日の、おぞましい感覚を一瞬にして思い出し、恐怖で身を震わせる朱理。


「大丈夫」


何度、その言葉を言ってくれていたのだろう。
風汰の声に、ふと、我に帰った時、朱理は自分もびしょぬれのまま、外の雨と雪と風にさらされていることに気がついた。


「風汰、私」


それ以上は、言葉にならない。


何年振りだろう。この白い牢の中から、外へ出られたのは。


ナンネンソウの繊維越しでない風汰の指先は、凍えるように冷たいけれど、朱理にとっては心地よい温度だ。

こんなふうに、父以外の人の肌に直接触れたのは、初めてに近い。うっかり、幼い風汰の手を握ってしまったことを除けば、初めてだろう。


寒さをほとんど感じない体質の朱理にはよくわからないけれど、今日の気候は、おそらく記録的な寒さなのだろう。

こうして、常に氷水で冷やされているような状態なら、私も何かを燃やしたり、誰かを傷つけたりしなくても済むんだ、と朱理は知った。
「行こう、朱理。風に乗れるよ」

風汰が楽しそうな顔をしていた理由がわかって、その気持ちが朱理にも伝播する。

「うん!」

ぱっと大輪の花が開いたような笑顔に、風汰は初めて朱理に会った時のことをありありと思い出した。

これが見たいがために、いつでも、ありとあらゆる手段を使ってきたのだ。

今回、風汰は、朱理が生まれたときの噂や、記録はもちろん、各国に残る火の一族に関する書物に目を通した。彼女の心と体を、あの美しくも残酷な石造りの塔に縛り付けているのは、その並はずれた能力だからだ。

そして、風の国の古本屋が、火の国の同業者から買い付けて来たという、古い本の中に、数百年前にも朱理ほどの力を持った人間がいたと言う記述を見つけたのだ。

そのおかげで、こうして、朱理をあの塔から連れ出して、手を繋ぐことができている。

でも、風汰は、地上には、あまり近付かなかった。誰かに見つかると大変だから。

そんな風汰の心遣いに気がつく暇もなく、くるくるとらせん状に上まで飛んでは、中空までの急降下を繰り返す遊びに夢中になり、朱理は一生分笑ったんじゃないかと自分でも思った。


こうしてはしゃいでいる朱理を見ると、年相応の19歳の女の子だ。いや、むしろ幼く見えるくらいだ。

風汰は、あの塔の中では、朱理がやけに大人びて見えていたことに気がつく。いろいろなことを、ゆっくりと諦めて、静かに暮らしているからだろうか。


初めて会ったあの幼い日には、その表情やたどたどしい話し方から、年下だと思い込んでいた朱理が、実際は1歳年上だったと知った時は、心底驚いた。

ほとんど人と触れ合う機会のない子どもが、表情や言葉を憶えるのは、難しいことだろう。
朱理にとって、それを教えてくれるのは、父親くらいのものだった。ただ、彼女の父は、本業はともかく、副業が忙しく、あまり子どもの相手をしていられなかった。

だが、あの日から、風汰は用事がない日には必ずと言っていいほど、彼女の話し相手になってくれた。

彼がいなければ、今の自分はなかったと、朱理自身も気がつくほどに、彼女の成長に風汰はなくてはならない存在だった。


「風汰、楽しいね」

ふと、呟いてから、初めて、風汰の指先が微かに震えていることに、朱理は気がついた。

はっとして、風汰の顔を見上げてみるけれど、彼はにっこり笑うだけだ。それでも、その顔は明らかに色を失っている。


「それはよかった」

そう答えてくれる声も、楽しそうだけど、体がずいぶん冷えているに違いない。
ああ、どうして私、気がつかなかったんだろう!

朱理は、自分の鈍感さを悔みながら、風汰の頬に、そっと手を伸ばした。

まだ繋いだままの右手が、風汰の左手を焼いてないのだから、と、自分に言い聞かせながらでないと、怖い。


おそるおそる、風汰の頬に触れると、風汰はうれしそうに、そんな朱理の手を抑えるようにして、しっかり自分の顔にくっつけてみせた。


「あったかいな、朱理は」


その言葉と、冷え切った風汰の肌の感触に、朱理の心は揺さぶられて、瞳から大粒の涙がこぼれ始めた。

「おい、大げさだよ」

風汰は困ったような顔をしてるけど、朱理にとって、風汰の一言は貴重だった。「あったかい」って表現は、適温の範囲だから。
朱理は、このひどく荒れた天候のおかげだけじゃなく、自分の力が暴走しないように抑えるだけのことは、できているのだと、わかったことが嬉しかった。

もしも、彼女の能力が解放されるなら、たとえ氷水の中に朱理を浸しておいたって、水は干上がってしまうだろうから。

そして、こんなに頬が冷たくなっても「寒い」とも「帰ろう」とも言わずに、はしゃぐ自分を見守っていてくれた風汰の気持ちが嬉しくも申し訳なくもあった。


「風汰、ありがとう」

朱理がそう言うと、風汰は自分のことのように嬉しそうな顔で、頷くだけだ。

どうやって、この感謝を伝えればいいんだろう。そう考えながら、朱理は、彼女の数少ない経験の中で、その方法を思いついた。


「大好き」


ぎゅっと、風汰に抱きついてみた。
幼い頃に、ときどき、無口な父がそう呟いて、抱きしめてくれたことを思い出しながら。

気をつけて、風汰の体が温まるように、意識を集中する。間違っても、生涯の友を丸焦げになんてできないのだから。

どれくらい、そうしていただろう。

「もう温まった?」

沈黙したままの風汰が心配になって、朱理は両腕に込めた力を緩めて、彼の顔を見た。

「ん」


短く答えた風汰の顔は真っ赤に染まっていて、朱理は自分の力の加減がやはり間違っていたに違いないと思って、落ち込んだ。

熱過ぎたんだろう、そう思った直後、いや、ひょっとするとその反対で、力を緩め過ぎて凍えた風汰が熱を出してしまったのかもしれない、とも思う。
一方で、風汰が考えていたのは、当然、自分の体調のことなんかじゃない。こうして朱理を石造りの塔から連れ出すきっかけになった本のことだ。

その中に出て来た、火の一族の、記録。高い能力を持ち、朱理のように、他人との接触を絶っていた娘がいたという部分だ。

同じような天候の日に、その娘は、こうして外出を楽しんだ、というわけではない。

夫となる人と出会い、結ばれて、一男をもうけたという内容だったのだ。

朱理に抱き締められて、そのことを思い出すと、厚着をしているから、彼女に触れている実感はあまりないはずなのに、ひどく心臓が騒いで、身動きできなかったのだ。

当然、そんな風汰の思考に気がつくはずもなく、朱理は風汰の手を引いた。


「帰ろう、風汰。ありがとう。もう私、一生分、楽しんだから」


風汰の体を案じて、そう言う朱理の言葉の「一生分」という響きに、風汰がはっと我に返り、心を痛めていたことにも、朱理は気がつかなかった。
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