愛し

-Ⅲ-

霞桜美術専門学校の三階奥にあるデッサン室。

この部屋で行われる授業は、石膏像を前に学生達が一心不乱に鉛筆を走らせるシャッシャッという独特な音と、学生に指導をする講師の声がたまに聞こえるくらいでとても静かだ。

しかし時刻は既に十七時をまわっており、学生達は帰宅、あるいはサークル活動に精を出している。その為ここには遼しかおらず、自らが起てる些細な音だけがやけに響いていた。

石膏で作られたアポロンの胸像を教卓の上に置き、キャンバスをデッサンイーゼルに固定したのは昼食を食べ終わった三時限目開始のこと。鉛筆を手に取ってからは四時間が経過している。

ちなみに、遼が通っているこの専門学校は一回の授業が一時間半である。午前中に二時限、昼食を挟んで午後に二時限の四時限制。授業と授業の間には十分間の小休憩があるが、教室の移動や画材の片付けで終わってしまう。せめて十五分あったら良かったのにと毎度思う。

そして今こうしてひとり残り、課題を進めている理由は実に単純なことで。提出期限である明後日の授業内では描き終えられそうになかったからだ。

水彩画やアクリル絵の具を使用する絵画であれば自宅でも描けるが、デッサンはそうはいかない。描く対象物を観察し、陰影などを忠実に再現する。それを何回かに分けて描く場合は、その都度前回の作業状況に近づけることが最適なのだ。

何より、石膏像は自宅に持って帰ることが出来ないのだから学校で済ませなければ。いつもは十七時から入るバイトを十八時からにしてもらったこともあり、集中して描けたと思う。

ある程度筆を動かしたところで席を立ち、キャンバスから少し距離を取ってから作品と石膏像を見比べる。

ここまで進めば、残り一時限で陰影を描き切り、もう一時限で講師にチェックしてもらえれば大丈夫だろう。

遼はふうと一息つくと片付けを始めた。

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