秘書の私、医者の彼

その一言のために


 大きく溜息を吐く。

 手術が成功してひと段落ついたのにも関わらず、余計なものがちらちら見えたせいで気が散って仕方ない。

 あんなに附和社長に好かれて一目会いたいとまで言わせるのに、来る時は世界を動かす四対財閥社長を同伴するだなんて。香月さんが、少し憎い。

 それに、自分がいかに附和社長に遊ばれていたかを知る。

 「今度は秘書か」という巽社長の声が、何度も蘇る。

 河野亜美は自宅のソファで酎ハイを飲みながら、斉藤の帰りを待っていた。

 今日は何もかもはっきりさせたかった。

 一緒に寝るだけの生ぬるい関係もこれまでにして、先に進むのなら進む、傷の舐めあいならそこまで、とどうするのか彼自身の口から聞いて決断したかった。

 風呂に入った後22時頃から飲み始め、やはり斉藤が玄関のドアノブを回したのは23時過ぎ。身体はほどよく酔いがまわり、今ならなんだって言える。

 河野はわりと冷えた頭でそう考えながら、静かに斉藤がリビングに入ってくるのを待った。

「……珍しいな」

 『ただいま』も言わず、河野に目を向けた斉藤はいつものチノパンと半袖の黒いポロシャツだ。

「それだけ?」

 河野は座ったまま上目使いで斉藤を見上げた。

「どうした?」

 斉藤はふっと笑うと鞄をソファの側のカーペットの上にそのまま置き、腕時計を外してテーブルの上に置いた。

「今日の亜美は随分魅力的だったぞ。髪のつやまで違う」

 誰と見比べているのかと無愛想に聞いてみたかったが、近づいてきた大きな手に、すぐに身体が縮こまってしまう。

 斉藤はすぐ隣に腰かけると酎ハイの缶を奪い、ためらいもせずにごくごく飲む。一部始終を黙って見ている河野をそのままに、それもテーブルの上に置いた。

「魅力的って、魅力的って……」

 返す言葉に戸惑って、復唱することしかできない。

「亜美ほど可愛い女なんていないんだよ。どこにも」

 しっかり目を見て言ってくれるが、あまりの整った完璧な顔に、こちらが耐えられなくて目を逸らしてしまう。

「じゃあ、それって好きって意味?」

 そっぽを向いて、聞いた。 

「亜美が俺のことを好きならそうなんじゃないか」

 はぐらかされたようで納得がいかず、

「私は、好き。……け、……慶介さんは?」

 今度は勇気を出して、顎を少しだけ上げて聞いた。

「慶介でいい」

 不意に顎をとられ、そのまま視線も上げてしまい、目が合う。

「もう一度」

「えっ……」

 何がもう一度なのか一瞬分からなかったので、何度か瞬いたが、慶介は射抜くほど見つめてくる。

「えっと、慶介……」

「が?」

「が……」

 顔は上を向かされているが、恥かしくて視線を下げた。

「ほら……好きだろ?」

 顔が、接近してくるのが分かる。

「……すき……」

「それでいい」

 唇が触れたと同時に深く、口づけてくる。

 顎をつかんでいた手は肩にまわり、次にゆっくり押し倒してくる。

 怖くて、ポロシャツを掴んだ。

 それに気づいたのか、頭を撫でるように抱えて、更に時間をかけてソファに横たえさせてくれる。

 頭がソファに着いた時点で一度唇が離れ、ぬめった唇を手の甲で拭こうとしたが、右手首をとらえられる。

「いい顔してるぞ」

 高揚している表情恥ずかしくて、思い切り顔を背けた。

 とらえられた手首を動かそうとすると、余計力を込められ身動きができなくなる。

「いいだろ? そろそろ……」

 何を意図しているのか分かりすぎるくらい分かっていた。

 慶介の右手は私の背中の下をまさぐり、まず慣れたようにプツッとホックを外す。

 待って、待って、待って、待って。

 したくないわけじゃない。でも、いきなりホックを外されても、と焦る気持ちが先に立ち言葉にできなかったので、空いた手でポロシャツの袖を掴んだ。

「力を抜け。……俺相手に、嫌とは言わせない」

 胸元がフワッと浮き上がった。

「でんっ……」

 きを……。

 唇を覆われ、息苦しくなる。

 電気を、せめて、電気を……。

 手首をつかんでいた指と河野の指が絡まり、更に舌も湿気を帯びながら絡まり、どんどん思考が緩くなっていく。

「はぁ」

 唇が離れると同時に斉藤の左手は巧みに動き始め、そこに全神経が集中する。

「本当は俺が執刀医だった」

 河野の甲高い声と慶介の低い声が被る。

 話の内容を聞き直そうと、荒い息を整えようとしたがすぐに別のところを太い指が這う。

「癌を発見したのは、俺だ」

 あれ、附和社長の話をした時慶介は何も知らなかったはず……河野はそう思い返しながら、ぼんやり話を聞く。

「アイツ、俺と亜美が一緒に住んでることを承知の上で俺に診察させておいて……」

 慶介は敏感な部分を探り当て、口に含んだまま、

「亜美は自分が拾ったみたいな、気にくわねーことばっかり抜かしやがって」

と、続けた。

 身体が疼いて、話が頭に入らない。

「大企業の社長らしいが、腐った野郎だ。部下の男の職場まで来て何言ってやがる」

 慶介の低い声とは裏腹に、目を閉じると快感の涙が浮かんだ。それほどに身体が高ぶっている。

 河野はとろんとした目で慶介を見つめると、次の快楽をと無言でせがんだ。附和社長がどうだったかなんて、今はどうでもいい。

「亜美は俺だけ待っていればいいんだよ。俺のだけで、喜べばいい」

 締め付けるような、がんじがらめの言葉なのに、愛しさから優越感に浸ってしまう。

「他のことは忘れろ。俺のことだけ考えろ。俺以外に揺らぐことは認めない」

 待つことなく最初から身体が激しく揺さぶられ、今日起こった全てのことが全てどうでもよくなる。慶介が、自分の腕の中にいる。ただそれだけでいい。

「亜美を可愛がる男なんて助ける気がしなくてな……。こんな風に想うなんて初めてだ。これほどまでに女を独占したいのは初めてだ」

 体勢が時々変わり、時間も忘れるほどに没頭していく。

「今までのように自由にはさせない。俺以外に仕えることも許さない。分かるな?」

 既に2度目の極限の直前で動きを止められ、ハッと意識が元に戻る。

「…………分、かる」

 答えなくては、と必死になった河野は虚ろな目でありながらもただ口を開く。

慶介はというと、微笑をすることで附和社長の秘書を辞任させる約束を取り付けたものとし、あっけなく河野自身を解放させてやる。

それの繰り返しだった。

 甘く、苦い、縛りつけるような言葉が次々に降ってきても、河野に届いているのは一部分だけ。

「亜美の可愛らしい顔も、よく響く声も、誰かによく躾けられた反応しすぎる身体も、もう後は決まってるんだよ。俺に捧げることに」

などと言われようとも、身体は刺激に耐えるのが精一杯で自分の息を吐く音でほとんどかき消されてしまっている。

 もう何度もせり上げては解放されている身体は、思考を途切れ途切れにさせ、もうほとんど慶介の熱しか伝わっていない。

「亜美……それでも俺は、一度しか言わない」

 足も腕もだるくなって力が入らず、意識を失いかけていた河野がその声で少しだけ目を開いた。

「亜美にはこの先何度も言わせるだろう。だが生憎俺は、なかなか肝心なことが言えない……」

 慶介の動きが一段と強くなり、摩擦でより一層熱くなる。

「今一度だけ言うから、覚えて……」

 セリフが途中で途切れた。

 河野の高い声が部屋中に響く。

 そんな中でも慶介はこの言葉だけは聞き逃されないように、ただ耳元ではっきりと、渾身の力と同時に放った。

「好きだ」
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