情炎の焔~危険な戦国軍師~
第14戦 大坂へ…
さる頃、三成の同志である直江兼続が属する上杉家にいながら、徳川家に味方せんとする者がいた。


藤田信吉という家老である。


彼は北条家、武田家など当時、勢力のあった家を転々としてきた。


そしてこの度、天下を取るのは家康だと見抜いたのであった。


信吉は大坂から戻って家康の意向を主の上杉景勝に報告したが、無視された。


景勝はその上で3月13日に上杉謙信の23回目の大法要を行うから、という名目で若松城に諸侯を召集する。


家康に対抗する姿勢を崩さない景勝や兼続を見かねた信吉は江戸へ逃走。


家康の嫡子、秀忠がこれを聞き、大坂の家康は上京した信吉を褒めた後、策を講じた。


信吉の情報を元に、上杉家が豊臣家に謀反を企てている、というストーリーを作り上げ、会津征伐の口実にしたのだ。


ひとまず謀反の疑いの真偽を問う使いを何度も出したが、兼続はあくまでも強気だ。


来れるものなら来い、といった内容など、とにかく挑戦的な態度を示した、後にいう直江状を書いたのである。


非礼極まりないその手紙を見た家康は挙兵し、会津へ向かう。


今や伏見にはわずかな兵しかいないのを好機と見た三成は伏見城を奪うべく出兵。


これが伏見城の戦いの始まりである。
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