最初から、僕の手中に君はいる
 えっ……。

 固まった。

「あ……はは、いや、冗談じゃないから。冗談には、させないからね」

 固まる身体を解答させるように、畑山はカランとグラスを鳴らした。

 そしてそのまま飲んでいる。が、私は口をつける気がしなかった。

「あの、それ……どういう……」

「どうってそのままだよ。藤沢さんさえよければ、親密な関係になっていきたいけど」

 部長である畑山が冗談でこれほどのことを言うキャラとは到底思えないのだが、セリフが軽い口調に聞こえ、なかなかうまくとらえられない。

「親密な、関係……」

 私は復唱した。

「部下に直球で攻めるのはよくないと自覚してる。けど、藤沢さん気付きそうにないから」

 畑山は笑った。

「え、だって……、私、畑山部長のことよく知らないし……」

「知らないことないでしょ。もう半年も一緒にいるのに」

 畑山は苦笑する。

「そうですけど、あんまりしゃべったこともないし……」

「僕が苦労して話しかけてることも、気付いてないとはねえ」

 畑山は首を傾げて、再びグラスを傾けた。

「えっ、そんな苦労って……」

 苦労という苦労はないだろう。呼べば来る関係にあるのだから。

「それに私、今まで畑山部長のプライベートなことは全然知らないし……」

「まあね、永井君に比べれば知らないかもしれない。そういう位置にはいないからね」

 畑山は先に箸を持ち、サラダを食べ始めた。

「何で永井さんなんですか?」

 私は率直に聞いた。

「仲、いいから」

 その、こちらを見ずにただ食べ進める畑山の横顔を見て、嫉妬している、ということが伝わる。

「え、まあ、仲はいいですけど。年も一番近いし」

「……僕のプライベートねえ。趣味、とか?」

 話を逸らす気か。

「はい、お休みの日、何されてるんですか?」

「うーん、半分は仕事かな。日経新聞、経済誌、その他の確認」

「え゛、あそうなんですか……」

 今まで予想もしなかったが、まさかそんな堅い休日を過ごしていたことに、突然尊敬の念が芽生えた。

「だけど、とりあえず次は熱海だね。楽しみ」

 グラスを傾けるその姿は、実に様になっている。

 部長が、私、を……?

 全く想像もしなかったこともあり、かなり攻められても、うまく反応することができない。

「酔ってる?」

 畑山は余裕の表情で聞いてきた。普段こういう穏やかな顔は会社では見せないため、まるで別人のようだった。

「そう……ですかね……、分かんないけど、そんなことないと思います」

 私は、しっかり意識を持とうと、一度グラスを置いて、口元を軽く抑えた。

「藤沢さんは、彼氏、いないよね?」

「いませんよ。いたら、ここへは来ません」

 当然のつもりで言い切ったが、

「いても来させる自信はあったよ」

 さらりと言われて、顔を見た。

「職権乱用、のつもりはないけど」

 畑山は笑った。そう言われれば、そうか。部長に飲みに誘われて、断る理由が「彼氏がいるから」というのは筋違いだろう。

「職権乱用ですよ、それ」

 私も目を合せて軽く笑った。が、ここぞとばかりに、左手をとられた。

 軽く、触れられる。

「今の僕なら彼氏がいたとしても、強引に奪いかねないけどね」

 まっすぐな視線で貫くように見つめられ、咄嗟に手を引っ込めた。

 私はまだ、決めたわけでは……。

 畑山は、今私が手を置いてあったソファの柔らかな部分を、軽く撫でながら続けた。

「キスもしたいけどね……」

 ち、ちち、ちょっと待って。

 やっ、やっぱいつもと全然違う……。

「困ってる?」

 畑山はこちらの顔を覗き込んで聞いた。

「私、だって……」

 テーブルの上のグラスやまだ少しも減っていない色鮮やかな皿を見ながら言った。

「部長のこと、あんまり知らないし……」

「そうかな?」

 柔らかく聞いてくれたので、そちらを見た。

「……だと、思います……」

「どうやって、知っていきたい?」

 少し、話題を変えてほしかったが、畑山はどんどん詰め寄ってくる。

「え……」

 何をどう言えばいいのか分からなくて、また顔を俯かせ、左手で流れる髪の毛を耳にかけた。

「何を……」

 畑山は言いながら私の左手首を軽くつかんで続けた。

「何を言ってるのか、聞こえないよ」

「いえっ、何もっ……」

 慌ててさっと手を払い、もう一度髪の毛を掛け直した。

「どうやって、教えてあげようか」

 言われてぎくりとした。なんか、方向がずれていっているようで、怖くて先回りをした。

「あのっ、熱海……」

 その後の言葉をどうするべきか、考えてしまう。

「ああ、熱海。楽しみだね。ここから一時間半はかかるかな。あいつの家なの」

「へー! 遠いんですね!」 

 良かった、なんとか会話が元に戻った。目を見て普通に話せる。

「うん、自宅を中心に他にも2店舗店があるから。ヤリ手なんだよ。雑誌でもよく取り上げられてる」

「私も、お店は知ってます。有名ですよね」

「他人をほめられると、あんまり気持ちがよくないね」

 畑山は再び熱い視線でもって、見つめてきた。

「いえあのっ、すみま、せん……」

 すぐに俯いて謝罪する。

「いいよ。顔、上げて」

 もちろん、それほど本気で謝っているわけではないので、すぐに顔を上げて、左隣を見た。

「ほんとは……」

 すっと手が伸びてきたな、と思ったら、すぐに畑山の親指が唇の下に触れた。

「もう少しいい返事が聞けたら」 

 親指は左右に動き、ゆっくりと、撫でられる。

「良かったのにな……」

 目を逸らして、逃げようと少し顔を引いたが、手が同じように伸びてきて、

「……」

何も言わずに二度顎を撫でると、そのまま引いてしまった。

「す……みません」

 顔を背けて、とりあえず謝った。

「ま、いいよ。僕は強引な手は使わないし、待つタイプだから」

 嘘つけ…………。

 にっこり笑顔で言う畑山に、困り果てた私は、曖昧に視線を逸らした。


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