最初から、僕の手中に君はいる

 畑山は、自動販売機のブラック缶コーヒーのボタンを無心で押した。

 石原……という名前が久しぶりに出たことに溜息をつく。

 一番厄介なのは、彩に余計な情報を知られてしまったことだ。

 実は石原は、大学時代に1年程度付き合っていた元彼女である。この年にもなって、元彼女という言葉を遣いたくはないが、正しい表現の仕方なのだから仕方ない。

 付き合い始めて3か月くらいした頃から、彼女の熱烈な束縛に耐えられず、別れを決意していたが、なんだかんだでだらだら1年になってしまった、というのが自分なりの解釈だ。

 それがまさか、卒業後も会社まで追いかけてきたのだから、すごいとしか言いようがない。

 しかも、相手もまだ独身を通している。

 コップを持って帰ったという辺りは、ネタだろうが、家で張られていたことは実際に何度かあった。

 その度に、復縁の話を迫られたが、もちろん家に上げることもなく、頑なに断り続けている。

 石原が彩の存在を知って面倒なことにならなければいいな……そう思いながら、コーヒーを拾い上げようと、腰を下ろした。

「何か言いたそうですね」

 は?

 という言葉を喉で飲みこみ、見上げた。

「さっき、すごく怒っているように見えましたけど」

 長身の永井はこちらを見下すように前に立ちはだかり、少し顎を上げた。

 平常心を装って、腰を伸ばす。

「……丸松さん、ネタ好きだからね」

 あえて話を逸らしておく。

「僕が言ったことが、気に入らなかったんじゃないんですか?」

 不快極まりなかったが、部下に乱れた姿は見せたくない。

「何か言ってたっけ?」

 こんなところで飲むコーヒーはマズイに決まっているが、手持ち無沙汰にプルタブを開けた。

「僕知ってますよ、先週、2人で海行ったのを。けどまだ付き合ってませんよね?」

 何故行き先まで知られているのかは分からなかったが、落ち着いて対応するほかない。

「海に行ったのは事実だけど。友人の子守りにね、それが何?」

 涼しい顔で相手を見た。

「手を引いてもらえませんか?」

 相手はわりと笑顔だ。

「部長相手に、強引な手、使いたくないんで」

 新人のくせにどんな言いぐさなんだと、腹が立つ。

「プライベートなことで君の言いなりになる気はないな」

 立場をわきまえろ、と目で訴える。

「僕、畑山部長が降格されるくらいの、すごいネタ持ってます。って言うと、嘘に聞こえるかもしれないけど」

 永井は満足そうな笑みを浮かべたが、

「それが何?」

 あえて、興味のないふりをした。

「手、引いてくれないと、上に言いますよ」

 一体どれほどの、どんな情報なのか気になって仕方なかったが、永井の手法に乗るわけにはいかない。

「すごい脅しだね」

 睨んで言った。

「脅しじゃないです。交換条件ですよ。ま、ただ、僕が上に言っても言わなくても、いづれバレることだとは思いますけど。

畑山部長の管理不行き届きはまのがれませんよね。

けど、部長が営業部に戻るまでにバレなかったら、いいと思いませんか?」

 営業部に戻ることまでも知っている、どこから情報が漏れているのか。

「別に。
 
そもそも、わざわざ君が僕に手を引けだなんて言わなくても、自力でなんとかすれば?」

 そう言っても、相手はまだ余裕だった。

「どうせなら障害は少ない方がいいじゃないですか。

 無理強いしてレイプ犯呼ばわりされるよりも、気持ちよく好きになってもらいたいですしね」

 無意識に、永井が彩をレイプする図が思い浮かんで、頭に血が上った。

「ま、君のやり方がそれ程度なら仕方ないんじゃない? 相手にされなくても」

 足を一歩前に踏み出した。いつまでもこんな話に付き合っていられない。

「僕は引きませんよ」

 永井はこちらをじっと見つめた。

「あそう。ま、君がそういう態度に出てもでなくても、一緒だとは思うけどね」

「どういう意味です、それ?」

 永井はこちらを睨んだ。

「そのうち、僕なしじゃいられないようにしてやるから、って意味だよ。分かる?」

 大人げない言い方だとすぐに後悔したせいで、足を速めた。

「……」 

 後ろから声は聞こえない。

 やり方を間違えたかもしれない。

 少し不安になったが、留まり、振り返ることはできなかった。

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