暁を追いかける月
声に視線を向けると、興味深げに自分を見つめる眼差しとぶつかる。
 その表情は豊かで、あまり表情の変わらない男とは全く違っていた。
「たいした別嬪さんだ。俺の息子は女を見る目もあったんだな」
 笑ってそう言うと、村長はいつも男が座っていた椅子に腰を下ろした。
「俺はこいつの父親でこの村の一応のまとめ役だ。ジェドと呼んでくれ。不甲斐ない息子を庇って斬られたと聞いた。感謝している」
 暖かみのある声音に、女は意を決して背もたれから身体を起こす。
 そして、手をついて、ジェドに向かって頭を下げた。
「村長に、お願いがございます――」
「リュシア?」
 男が驚いたように声を上げたのが聞こえた。
「願い? 俺に?」
 面白そうなジェドの声。
「それは、息子達を追い出したことを取り消せとか、そう言ったことかい?」
 平伏したまま女は頷く。
「罪は、全てあたしにあります。彼らを唆したのは、あたしです。罰ならあたしに。何でもします。死ねとおっしゃるなら、今ここで死にます。どうか、彼らを許してください……」
「リュシア、やめろ」
 苛立たしげな男の声がすぐ近くに来て、両腕を掴んで身体を起こそうとする。
「よせ、ジェス」
 低い声が、それをとどめる。
「このお嬢さんは、俺に話をしてるんだ。邪魔をするなら出て行け」
「――」
 逆らうことを許さない厳しい声音に、男が女を掴んでいた腕を放した。
「下がれ、出て行くのが嫌なら黙って聞いていろ」
 頭を下げたまま、女は黙っていた。
 男が離れていくのが気配でわかった。
「さて、お嬢さん。顔をあげな。俺は、話をするときは、相手の目を見るんだ。そこに、偽りがないかどうか」
 女は、ゆっくりと身体を起こし、ジェドを見た。
 真っ直ぐに、視線を逸らさずに。
「――美しいな。こりゃ、ジェスじゃなくても欲しくなる」
「親父!!」
 村長は女の顎を掴み、じっと見つめる。
「もし俺が、許す代わりに身体を差し出せと言っても、従うつもりなのかい?」
「――それで、許されるなら」
 本心だった。
 父親の背後で男が不機嫌さを隠しもせず女を見ていたが、構わなかった。
 呆れたように、村長は女から手を放した。
「お嬢さん、そういうことは簡単に言っちゃいかん。しかも、お前さんを大切に思っている男の前で」
「大切にされる、価値のない女です」
「お嬢さん――」
「あたしは知っているんです。本当は何の価値もない、罪深い女だということを。あたし自身がよく知っているんです。たくさんの命を奪いました。たくさんの血を流させました。弟の復讐のために、あなたの息子を、男衆を、利用しました。たくさんの罪を犯しました。それなのに、結局、自分は手を汚さず、ただ見ていた。今ものうのうと生きている。こんな卑怯なこと、償う方法がわからない」
「そうやって、自分を痛め付けていたほうが楽なんだな?」
「――」
「誰も罰を与えてくれなかったから、自分で自分を罰してるんだろう。誰かのせいにしちまう方がよっぽど簡単なのに、お前さんはそうしない。若いのに、自分に厳しいんだな、お前さんは」
「――あたしは……」
 村長の言うとおりなのだろうかと、女は考える。
 そんなつもりはなかった。
 けれども、いっそそれが真実であったほうが、そう感じられさえすれば、自分はもっと楽になれるのかもしれない。
 ただ、あの時、復讐を諦めてから自分の中にもう何も残っていないような気がするのだ。
 何をしていても、全てが虚しく通り過ぎていくように。
 だからこそ、何かをせずにはいられなかった。
 何かしていないと本当に、自分が生きているのか死んでいるのかもわからなくなる。
 壊れた器を満たそうとするかのように、がむしゃらに働いた。
 だが、満たそうとすればするほど、全てが擦り抜けていった。

 男を庇って斬られたあの時の痛みは、唯一自分がまだ生きているのだと感じられたような気がする。

 今はもう身体の痛みしか、自分をこの世界に繋ぎ止めておけないのではないだろうか。
「――」
 大きく息をついて、村長は小さく頭を振った。
 そうして、己の背後の息子を振り返る。
「こればっかりは、時間にまかせるしかねえんだろうな――ジェス。このお嬢さんに免じて、勘当は取り消してやる。好きなだけいていい」
「親父――?」
 それから、同様に驚く女に向き直り、微笑んだ。
「これで、少しは気が楽になったかい、お嬢さん?」
 女は言葉を探せず、黙って頷いた。
「それならいい。あんたの罪は、今日一つ許された。残りの罪もいつか全て許される。だから、早く身体を治して、元気になりな」
 女の肩を優しくたたいて、村長は出て行った。
 あまりにも呆気なく与えられた許しに、女はつかの間動けなかった。
 代わりに男が動いた。
 女の身体を支えて、背もたれに寄りかからせる。
 そうされて、女はやっと、自分の身体が緊張で強ばっていたのに気づいた。
 ようやく身体の力が抜けて、より深く、身体が背後へと沈んだ。
 男の大きな手が、額に触れた。
「また熱がある。もう休め」
「――」
 男の言うとおり、微熱があるようだ。
 身体が怠かった。
 息をつく女を、男はじっと見据えた。
 女は視線に気づいて見つめ返した。
 疲れのせいか、意識がぼんやりとしていて、男から目をそらすこともなく、ただ女も見つめ返した。
 男の手が、女の頬に触れる。
 その手の温もりに、女は何だか泣きたくなった。
「リュシア、お前は俺に何も望まない。お前が幸せになるために、どうしてやればいい?」
 あくまでも、男は優しく問いかける。
 幸せに――そう言う。
 かつて自分でもそう思っていた。
 でも、自分一人で幸せになりたいのではなかった。
 あの子と――弟と、幸せになりたかったのだ。
 それこそが、自分の幸せだったのだ。
「……あの子に、リュマに、会いたいわ。会わせて」
 真っすぐに見据えた男は、痛ましそうな眼差しで女を見ていた。
「それは無理だ。会わせてやりたいと思うし、俺も会いたい。だが、俺達はもうあの子には会えない」
 男がそういうことはわかっていた。
 リュマは死んだのだ。
 自分が見捨てたのだ。
 あの子が餓えて苦しんでいたのに気づかずに、自分はのうのうと生きていたのだ。
「夢でさえ、会えないの。あたし、あの子に会いたいのに。こんなに、会いたいのに」
 せめて夢の中でいい、会いたかった。
 会って、謝りたかった。
 愛していたと、伝えたかった。
 だが、それさえも叶えられない。
「お前の心が迷っているから、だから、リュマには会えないんだ。心を閉ざすな、リュシア。リュマはお前を愛していたんだ。最期まで、お前を愛していた。それを否定するな」



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