くだらない短編集
聞けない言葉




鳥は喋らない



■聞きたくない言葉


彼が口を開いたのが見えた。そこに音は無かったが、確かに口を動かした。しかし、鼓膜は彼の言葉ではなく、遠くの喧騒を捉えていた。否、私の脳味噌が彼の言葉を拒否しただけかもしれない。彼方にあった雑踏の音色が私の身体を蝕んでくる。満水になったその音が、彼の科白を、水中にいるかの如く拒んでいる。水圧が、煩い。ぎしぎしと、口煩く耳元で雑談している。身体の奥底で心臓が軋んでいる。

黙ってくれ、と言った。彼の言葉が聞こえない。「違うでしょう、聴きたくないだけだ」「そうかもしれない」「うるさい。煩い、五月蝿い」水が語り掛けてくる。

違う。遠くにあった喧騒は、自分自身の、声だろう。

水が、喧騒が、次第に引いていく。時間が少し後戻りして、部屋を出て行った彼が私を見つめていた。そして、口を開いた。市立アパートの二階の二0三号室の、ありふれた一室で。狭い部屋の小さな窓から見える真昼の道路を車が通った。蛇口から落ちる水道水が、音をたてて、一滴ずつ滴っていた。彼が、口を動かしている。視界に映る、小さな窓枠に、鳥が止まっている。口煩く語り掛けてくる。嗚呼、違う。

鳥は、喋らない。



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