水平線に眠る
本文
「わあ」

 助手席の静子が幼い声を上げる。

 突き出した岩肌の側を抜けると、フロントガラスの全面に、キラキラと輝く水平線が現れた。

「きれい!」

 右カーブをこなし、海岸線を走る。窓を開けると、潮のにおいが心地良い。

 静子は身を乗り出しそうな勢いで、頬を風に晒していた。

「ねえ、お父さん。もうすぐ着く?」

「ん? ああ」

 小学生三年生になって、髪を伸ばしたいと言い出した静子。増々お母さんに似てゆく娘に、私はただ、ただ微笑んだ。

「あっ、お父さん。大きなお船だよ」

「大きいね」

 フェリーが見える。水平線の手前を、横切ってゆく。

「あれ、乗りたいな」

「乗りたいの?」

「うん」

「そっか」

 船着き場はすぐそこである。今走っている道沿いなのだ。

「お父さんも、一緒に来てね」

「乗せてくれるかな」

「大丈夫、きっと乗れるよ」

 フェリーがどんどん遠くへ行ってしまう。向かっているはずなのに、離れていく。

「やっぱりお父さんは、乗れないのかなあ」

 静子が横で考え込んでいる。

「お母さんは?」

「うん、先に乗ってるって言ってた」

 寂れた船着き場に車を止め、足を下ろす。

 海に反射した光が、何度も視界を遮る。

「静子。ここから、お母さんが見えるよ」

「えっ!? どこどこ?」

「ほら、丘のあたり」

 私が指差した先に、白い何かが揺らめいている。妻がゆっくりと手を振っていた。

「あっ、お母さん!」

 静子はまず、おーい、と叫んで、飛び上がりながら両手を振っている。

「ねえ、お父さん。お母さんは大丈夫かな?」

「大丈夫だよ。こっちに気付いているから。どこへも行かない」

「あそこまで、歩くの?」

「さあ、行こう」

 静子を連れて、草むらの中を登っていく。

 この山道を登って行くのも、もう、七度目になる。丘の頂から、港が一望できるのだ。

「お父さん、はやくはやく」

 いつの間にか、静子が先導している。胃のあたりが、シクシクと痛い。

「ほら、きれいだよ!」

 丘からの景色は、なお一層、眩しかった。

「あなた」

 声を掛けられ、妻の方を向く。静子は早速、しがみ付いている。

「やあ、来たよ」

 どうやら、私だけが年老いてしまったようだ。

 ぼんやりとして、顔はよく見えなかった。それでも最後の力を振り絞り、笑顔を作る。

 上手く出来ていたのか、正直、わからなかった。


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