死刑への日々
本文
 午前七時、チャイムの音で起こされる。今日もまた昨日と変わらない一日が始まる。確定した刑が執行されるまでこの繰り返しは終わらない。
 昨夜もまたよく眠れなかった。
 独居房の証明は消されることがないからだ。幸いにして私は一般独居房に入っているので、テレビカメラによる二十四時間監視はない。テレビカメラがあるのは自殺防止房だ。
 私は手際よく洗面を済ませて点検を受ける。それが終われば朝食となる。
 独居房の広さは一・八メートル×三・六メートルくらいで、三畳に一畳の板の間という間取りになっていて、板の間ににトイレと流し台がついている。扉には3つの視察窓、食器口、スピーカーがついている。また扉の横には検知器用ボタンがある。
 窓には目隠しはないがベランダがブラインドで閉ざされていて日当たりが悪い。勿論冷暖房設備などない。
 音といえば隣の房のトイレの音、懲役囚の声、電車の音 小鳥の囀り、近所の猫の声などだ。
 朝食が終わって二時間ほどすると房ない体操のチャイムが鳴る。それまでの間、横になることは許されない。
 房ナイラ移送が終わるとお茶やコーヒーを飲む者のためにお湯が配られる。私はカップにインスタントコーヒーを入れてお湯をもらった。お金さえあればお茶やコーヒー、菓子、食料品(梅干し、乾パンなど)文房具、大学ノートなどを手に入れることができる。家族の写真も十枚以内ならば持っていることが許されている。
 支給されるものは食事、衣料品、カレンダーである。また禁止されているものはペット、植木、生花、時計、ポスターなどだ。
 カレンダーは許されているのに時計は許されていないのは理解に苦しむ。
 私の房のカレンダーには小さな○印が並んでいる。私が無事に一日を過ごすことができた証だ。
 十二時十分から十三時までは横になることができる。その間に昼食が支給される。
 横になり目を閉じると家族のことを思い出す。妻や子供たちとはすでに縁が切れている。だが、私が犯罪を犯し、こうして死刑囚となってしまったために肩身の狭い思いをしていることだろう。
 私の人生は暗いものだった。
 けれども妻や子供たちと過ごした日々は和達しの人生の中で唯一穏やかな時期だったといえるだろう。
 それを思い出すと目頭が熱くなり、目を開ける。
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