秘めた想い~紅い菊の伝説2~
『逃げるな!』
 闇のそこから突き上げるような不気味な声が叫んだ。それとともに教室の中からガラスの割れる音が響き、中にいる生徒達の悲鳴が聞こえてきた。
『逃げればお前の仲間達にガラスが降り注ぐことになるぞ』
 見ると怯える生徒達の頭上で鋭い切っ先を向けたガラスの群れが浮かんでいた。
 誰もが恐怖のあまり動けなかった。
 鋭い刃の群れが自分たちを狙っているという恐怖と常識を越えた出来事を受け入れられない恐怖とが彼らを支配していた。
「関係のない奴を巻き込むな」
 傷ついている佐枝を庇いながら義男が叫んだ。
 すると声が不敵な笑い声を上げた。
『そうだな、元はといえばお前が始まりだからな…』
 声は不気味に嗤う。
『いいだろう、他の奴らを巻き込みたくなければ屋上へ来い』
 声は言い放った。
 だが屋上は閉鎖されていた。
 あの夏の日、美鈴達の担任が飛び降り自殺をしてから屋上には頑丈な鍵が掛けられていた。
 義男がその事を告げると声はまた嘲笑った。『人間の掛けた鍵など私には問題ではない』 声はそう言うとその気配を消してしまった。同時に生徒達を狙っていたガラス片が一斉に床に落ちた。
 義男はそれを確認すると強い決意を示す表情をして屋上に通じる階段にも買おうとした。 それを啓介が止める。
「よせ杉山、相手はこの世のものではないんだ」 
だが、義男はその言葉を聞き入れようとはしなかった。
「杉山君、やめなさい。あなた殺されるわよ」
 今は呪いというものを信じているのか、美佳は震える声で言った。孝も、そして佐枝も同じ思いだという視線を義男に投げかける。 義男は彼らの方へ振り返る。
「そうはいかない。何でかわからないけど、俺のせいで佐枝や紺野さんが傷つけられたんだ。俺が行くことで止められるんなら、俺は行く」
 義男の声は微かに震えていた。
 そう、声の言うとおり屋上へ行けばおそらく殺されるだろう。それが怖くはないと言えば嘘になる。行きたくはない、行くなと義男の深層心理は告げていた。出来ることならば他の方法で解決したい。
 他の方法…。
 そこまで考えたとき、義男の脳裏にふとある考えが浮かんだ。
「なあ、佐枝」
「何よ」
「お前言ってたよな。もし呪いなら、呪った奴はお前や紺野さんに嫉妬しているんだと」
「ええ言ったわよ。誰だかわからないけれども、そいつにとって私や紺野さんは邪魔者だったのよ。だから排除しようとしたんだわ」
「だったら、俺がそいつのものになったら?」
 それは意外な言葉だった。
 もし佐枝の言ったとおり呪いの動機が嫉妬ならば、義男がその身を捧げることで嫉妬は収まるのだろう。続いて起こった奇妙な事故もなくなるのだろう。
 それも一つの解決の手段かもしれない。
 一人の幸福よりも多数の幸福が優先する。
 義男は自分が犠牲になるというのだ。
「そんなの、駄目…」
 力ない声で佐枝が口にした。
 その微かな声は義男の耳に届いた。
「私…、そんなの許せない」
 佐枝の声が次第に大きくなり、今ではそこにいた誰もが聞き取ることが出来た。
「じゃあどうすればいいんだ?」
「わからない。でもあんたが他の人と付き合うなんて私は許せない」
「だけど、そうしなければまた誰かが…」
「わかってる。でも許せない。私はあんたが好きなの!」
 それは佐枝の嫉妬だった。 
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