異人乃戀


 部屋を出たのはいいが、凪の居場所が分からず、湖阿は部屋の前を一歩も動けずにいた。
 誰かに聞けばいいのだが、湖阿の借りている部屋がある棟は長など重役の部屋ばかりで、今は会議中のため、誰も通らない。

 侍女も食事時以外はこの棟にはあまり来ないらしく、かれこれ十分以上はこうしているのだが、誰も通ることは無く、無情に時間だけが過ぎていく。
 借りている部屋周辺しか迷わずに行く自信が無い湖阿は、誰かが来るのを待つしかなかった。
 もし迷っても誰かが部屋へ案内してくれるだろうが、場所も分からず迷う前提で行く気にはなれなかった。

 こちらの世界に来る前の湖阿なら迷ってもいいからと歩き回っていただろうが、この世界はどの行動が危険に直結しているかわからず、しかも危険が命に関わる湖阿は慎重になっていた。

「……どうしよう?」

 屋敷の中が必ずしも安全ではないというのは珮護の一件でよく分かった。

 結界を張っていたとしても、長レベルの力を持っていれば破ることは容易い。幻術師が多い朱雀族ならば気付かれずにそれを行えるだろう。
 しかし、青龍族や玄武族も弱いわけでは無い。入り込めたとしても、強大な力を持つ者以外は結界を破るだけしかできない。

「あんな事するのは珮護くらいよね、そうよ」

 湖阿は自分にそう言い聞かせると、歩き出した。

 隣の棟まで行くと、湖阿は妙な気配を感じた。何が妙なのかは分からないが、この屋敷のいつもとは何かが違う。

 立ち止まって辺りを見回してみたが、何も変わりはない。

 湖阿は気のせいだと思い直し、顔を上げるとさっきまで誰も居なかったはずの庭に人が立っていた。
 白く前髪の一カ所に黒い線が入っている髪をした男が、湖阿を真っ直ぐ見ている。

 男と目があった時、湖阿の背筋に悪寒が走った。

 誰なのかは分からないが、青龍族でも朱雀族でも無いのは何となく分かった。
 湖阿が一歩後ろに下がると、男が無表情のまま近付いてくる。

 志瑯は無表情だが、どこか暖かい。しかし、その男の表情の中には暖かさなどなく、赤い瞳に見え隠れする欲望が湖阿の体の自由を奪う。
 体が動かず、息が詰まって声が出ない。逃げようと思っても逃げられない状況に、湖阿は腹が立ってきた。

 救世主が何であり、命を狙われる立場であるということを湖阿は分かっているつもりではあった。
 しかし、少しくらい大丈夫だろうという油断が間違いだったのだ。

 少しの油断も許されない世界であり、青龍族がおかれた状況なのだ。



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