HAPPY CLOVER 2-ないしょの関係-
 しかし、容赦なくその日はやって来た。一学期の期末考査だ。

 このテストは、実は結構大切なテストなのではないかと思う。担任も「進路に影響するので頑張れ」などと、ぼそぼそとした声で言っていた気がする。

 だというのに、私の頭の中は半分がその菅原くんたちとの遊ぶ約束のことで占められていた。

 清水くんからの情報によると、男子はサッカー部の菅原くんと清水くんの親友田中くんと、追加でクラスメイトの沖野くんがメンバーで、女子は西こずえさんと藤谷(ふじや)さんと山辺(やまべ)さんの三人らしい。

 テスト期間中は出席番号順に着席しているので、密かにメンバーの名前と顔を覚えた。

 クラスメイトの顔と名前が一致していないなんて、恥ずかしいことだなと今更ながら思う。さすがに女子はほぼわかるのだけど、それも名字に限る。

 藤谷さんの名前が悠香だというのは初めて知ったが、読み方がわからない。「ゆうか」、それとも「はるか」?

 読み方がわからない場合、あだ名でわかることもあるけど、残念なことに藤谷さんは「ふじやん」と呼ばれていた。「ふじやん」ってちょっとかわいいあだ名で羨ましいな、なんて思ってしまう。

 もう一人の女子、山辺さんは小柄な西さんと藤谷さんに比べるとかなり大柄な人だ。バレー部の主力メンバーで、この三人の中で唯一私が会話を交わしたことのある人だった。

 というのも、山辺さんは私と同じく電車通学をしている。途中で乗ってくる人だけど、地方出身者は仲間意識なのかお互い何となく通じるものがあるし、無言でいたわりあうような部分がある気がしていた。

 私の印象では、山辺さんは体型とは裏腹にとても女性らしい優しく繊細な性格の人だった。だからなのか、男女問わず人気がある人だ。

 高梨さんも男女問わず人気者という点では似ているが、山辺さんとは違ってどこか相手の心の中まで見透かしてしまうような鋭さがある。それが時折恐ろしく感じるけれども、山辺さんはもっとおおらかな視線の持ち主だと思う。

 一方、男子のほうは本当にやっと名前を覚えたところだったりする。

 菅原くんは我がクラスの中でも清水くんに続いて有名人だ。サッカー部で女子に人気があるのは噂に疎い私でも知っていた。

 清水くんが言うには、菅原くんは藤谷さんのことが好きらしい。確かに彼女は男子の庇護心を煽るような可憐な笑顔を振りまいていた。私なんかとは違ってかわいげのある人だから、菅原くんが彼女のことを好きだというのも素直に頷けた。

 そして沖野くんも名前は知っていた。だって、彼は授業中でも積極的に喋る人だから。しかも笑い声がサルのような高いキャッキャッという音なので、いくらクラス内のことに無関心の私でもその笑い声は耳につくというものだ。

 かなりの揚げ足取りなので発言には十分気をつけるように、と清水くんから忠告を受けた。更に、もし何か言われても気にしなくていいとも言ってくれた。

「サルが日本語を覚えたのか、やるじゃん! ……くらいに寛大な気持ちで接してやるといいよ」

 さすが、清水くん。上から目線も半端じゃなく高みから見下ろしてるらしい。でも彼にそう言われたら本当に誰も言い返せなくなる。だからこの人は悪魔だと思うんだけどね。

 そして、清水くんの親友田中くん。

 彼の後ろ姿を見て、思わずこみ上げてくる笑いを唇を噛んでこらえた。

 田中くんの一番のポイントはお人よしということだ。更に彼の至って真面目な言動はどこか滑稽で可笑しい。ウケを狙っていないのにウケる人なのだ。

 テスト前日、気難しい数学の先生がやってくる前に彼は教壇の上に自らの水筒を準備していた。これには数学の先生も驚いたようで顔をほころばせて言った。

「長い教員生活の中でも授業の前にお茶が用意されていたのは初めてだよ」

 すかさず田中くんは言う。

「先生、ちゃんと蓋は洗っておいたから、心置きなく一杯どうぞ」

 そして、社交辞令的にお茶に口をつけた先生に、少し甘えた声で言ったのだ。

「ねぇ先生。一つだけでいいからテストに出るところ、教えて!」

 クラスメイトの期待を一身に集めた先生は渋々といった感じで、それでもいつもより幾分丁寧にテストに出そうな部分に関する説明に時間を割いてくれたのだった。

 こうしてクラスメイトの動向にも目を向けると、授業は生きているということに気がつく。もし田中くんが先生にお茶を出さなければ、あの先生のことだから淡々とテスト範囲より先の部分へ授業を勧めていたに違いない。

 そう考えると、田中くんはただ何となく思いついて実行したことなのかもしれないが、何の関係もない私も同じクラスに存在しているだけで、その恩恵に与ったのだから彼には感謝しなくてはならない。

 それに先生にお茶を出すなんて、私には逆立ちしても真似できそうにないことだ。本当に世の中にはいろんな人がいるな、と思う。

 そんな田中くんだが、本人も認めるようにかわいそうなくらいモテないらしい。

 菅原くんと同じサッカー部だが、練習もそれほど真面目に出ていないようだし、顔も目が細く顎がしゃくれ気味で、髪も剛毛の天然パーマなのか、短いのにくるくると地肌にしがみつくようにカールしていた。

「アイツ、根はいいヤツなんだけど、女の子への接し方が下手くそなんだよね。あと、人に流されやすい。他人の話を真に受けやすいんだ。疑うということをしないらしい」

 というのが、清水くんの評価だ。親友という割にはあっさりとした口ぶりで、男子同士の友達付き合いというのは女子のそれよりかなりドライなのだな、と私は思う。

 それなのに田中くんの清水くんへの傾倒っぷりは忠犬のような性質で、見ていると可笑しくて仕方がない。

 更に主人ならぬ清水くんも心得たもので、冷たくあしらったかと思うと後できちんとフォローしていたりする。二人のやり取りを隣の席で聞いていると本を開いていても全然進まないが、本の内容より面白くて、田中くんが清水くんの席にやってくるとつい耳をダンボにしてしまう私がいた。

 そうしてテスト期間はあっという間に終わってしまった。

 これは、かつてないほど悲惨な状況だ……。

 今回のテストも私なりに頑張ったが、最後の答案用紙を提出した途端、早くも惨憺たる結果を想像して両手で顔を覆った。

 頑張っているつもりだったが、気持ちが別のところにあるせいか、テスト勉強に全く身が入らなかったのだ。

 しかしある意味、これが私の真の実力なのかもしれない。

 憂鬱な気持ちを引き摺ったまま、私は期末テストの打ち上げと称したグループデートの日を迎えることとなった。





 前の晩から何を着て行こうかと悩みに悩みまくったが、私の持っている服の中から選ぶとなるとパターンは限られる。実は悩むまでもないことだった。

 自分のクローゼットを目の前にして、その現実に肩を落とす。

 まさか、いきなりこんなことになるとは思いも寄らないわけで、私は仕方なく唯一のよそ行き(それも姉のお下がり)に袖を通し、母からクリスマスプレゼントでもらった鞄を持ち、何か言いたげな母を一睨みして出かけた。

 通学するのと同じように電車に乗り、駅で停車するたびにT市が近づいていることを実感し、お尻のあたりがむずむずとして黙って座っているのが辛い気分になる。このままだと当然のことだが、もうすぐ到着してしまう。

 ドキドキと不安で胸が爆発しそうだった。

 自分の格好をもう一度上から下まで確認する。

 レモンイエローのTシャツの上に、切り替えの入ったオフホワイトのワンピース。胸を覆う部分にはギャザーが入っていて、飾りボタンが三つついている。丈は長めで膝が十分に隠れる長さだ。それにシンプルな茶色の鞄。靴は通学にも履いているいつもの靴。

 ――び、微妙?

 そう思っても他にないのだからどうしようもない。後は英理子さん頼みなのだ。

 駅に着いた後、約束の時間まで三十分ほど余裕があるので、その間に英理子さんがイメチェンの手伝いをしてくれることになっている。

 ところが、T市まで残り二駅のところで車両の中に見覚えのある顔を発見した。

 ――山辺さん!

 考えてみれば当然のことだ。この路線は2時間に1本しか走っていないのだから、同じ路線を利用する山辺さんがこの電車に乗らないはずがない。

 しかも妙なことに電車通学の掟なのか、学年ごとに乗る車両が決まっていた。だから彼女が同じ車両に乗ってくるのは必然的なことだった。

 私は咄嗟に顔を伏せる。山辺さんが空席を探してキョロキョロしていた。

 ――こうなりゃ、寝たフリしかない!

 見つからなければいい、と祈るように思いながら目を閉じた。

 しばらくしてそっと目を薄く開けてみると、山辺さんはかなり離れたところに座っていた。ホッとしてまた目を閉じる。

 終点のアナウンスが車内に流れた。

 また一瞬だけスッと目を開けてみると、山辺さんは早々と立ち上がり、私の席からは離れた出口へと向かっている。私は「上手くいった」と内心ほくそ笑んだ。

 電車が停車して、彼女が降りたのを確認してから私もゆっくりと立ち上がった。電車の中からこそこそしている時点で何だか惨めだったが、改札口では英理子さんが待っていてくれるはずだ。くよくよしている暇はない。

 ホームに降り立ち、人影がまばらになったところで大きく深呼吸をした。

 ――よしっ!

 ここまで来たら後には引けない。行くしかないんだ。

 そうは思うものの、どうして私がこんな目に遭わなければならないんだろう、と改札口へ向かう階段をのぼりながら心の中で盛大にぼやいていた。

 でもこうなったのは、半分は清水くんのせいだけど、残り半分は私のつまらない意地のせいだという自覚はある。何だかよくわからないけど、清水くんが「一人で行く」と言い出した途端に「それだけは絶対許せない」と思ってしまったのだ。

 そのくせここまで来てもやはり、付き合っていることがみんなにバレるのは嫌だと思う。

 ――なんかもう、頭の中がごちゃごちゃ!

 今まで経験したことのない数多の感情が私の中に渦巻いて、奇妙なマーブル模様を描き出していた。

 階段をのぼりきって目を上げると、不安な表情で待つ英理子さんの姿があった。

 私を見るなり英理子さんの頬にパーッと明るい色が差す。それを見た瞬間、はち切れそうな胸の奥の不安な気持ちは大きな吐息とともに辺りへ霧散していった。
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