神さまに選ばれた理由(わけ)
車の中で夫とはなにも話さなかった。
無言で家まで帰った。
夫は全部を理解したのだ。つないだ二人の手に。
それから夫はどこへ行くにも付いてきた。
病院はもちろん変わり、学校関係、プライベート、病気の友の会etc
一人で行くのは危ないからというのが理由だ。

家庭でも夫と子供たちは優しくしてくれた。
夫の言い聞かせによるものだろう子供たちも気を使ってくれたのだ。
夫は先生のことは忘れたように何も言ってこない。
仕事は長期休暇をもらった。
治療に専念するためにだが、進行性の病気である限り復帰は難しい。
歩けなくなると通勤ができないのだ。
キーボードを打てなくなる日もそう遠くない。そうなれば仕事自体ができない。
本当なら華やかな定年退職が待っていたはずなのに。だれにも気がつかれないように
フェードアウトした。20数年における会社生活は静かに膜を下ろしたのだ。
私はまだ身体が動くうちに家族のために一緒に時間を過ごしたいと思った。
私は10年振りに専業主婦になった。下の子が生まれた時以来だ。
人生で3度専業主婦になった。子供が生まれて育児休暇をもらったときと今回だ。

洗濯や掃除を朝済ませるなんて考えられない。
今までは洗濯は夜のうちに済ませ、朝はギリギリまで寝ていた
だから夜も朝もいつも時間に追われていた。余裕なんて言葉は知らない。
夫は家事を分担するようなタイプではない。おばあちゃん子で何から
何までやってもらい上げ膳据え膳で育てられた長男で
2人の男の子は自分のことは自分でやるような教育をしてないから
全部私がやるしかなかった。
そういう生活を結婚以来続けてきた。
それが冬の入院を機に自分のことは自分でやるという生活に急に変わったのだ。
これからは自分のことだけではなく私の面倒まで診なくてはならない。
夫も気楽な人生から私のためにとんだ人生に変えられてしまった。

子供のお弁当作り、朝ごはん、夕ご飯を全部手作りした。
時間が十分あったのと、もうすぐ作れなくなると思うと子供に
母の味を覚えて置いて欲しかったのだ。と言っても大したものじゃないけど・・・・・、
先生とは携帯のメールだけ交換しあった。
PCは夫に見られるのでできず、連絡の手段はケータイしかなかった。
夫はケータイも嫌だったのだろうが、子供たちとの連絡の手前仕方なかったのだ。
先生と私は毎朝と毎夕短いメールでおたがいの近況をしらせた。
それしかできなかった。「おはようございます。今日は白いものが空から降ってきたよ」、
「お疲れ様です。おヒゲは白くならなかった?」と言った具合に。
それでも先生から
たまに「澪さんに会いたい」というメールをもらうとたまらなくなる・・・・・・・

生まれ故郷の長崎に兄が連れて帰ってくれた。
リハビリのかいあってまだ多少は歩けた。歩けるうちに両親の
墓参りに行こうと言われたのだ。
親戚や同級生とも会った。もう隠す必要はなかった。
全部本当のことを話した。
同情された。泣き出す友達もいた。
兄のはからいでやってきた初恋の彼は頭を優しく撫でて、「やっぱりお前と結婚してとけばよかった。
そしたらこんな病気になんかしなかったのに・・・」と言った。
「何言ってんの!」と笑いながら、ほんとうにこの人と結婚
して両親のそばにいてあげていたら、孫に囲まれて両親も私ものんびりと
穏やかに暮らせたかもしれないと思う。そう思いながら父と母に手を合わせた。
そうじゃない。そんなこと言ったらこれまでを否定することになる。
これでいいんだ。病気になったことも含めてこれが私の人生なのだ。
長い付き合いの友達が「この世界ではもう会えなくても来世があるじゃない。
また一緒ににお弁当食べようよ」といった。
「うんうん そうだね。緑の作った卵焼きまた食べたいもん」
何も言わなっかったが、今世では会えないかもしれないと心に刻み、来世で会うことを誓った。
年取った親戚のおじさんやおばさんたちにももう会えないかもしれない。
私の方が体を気遣わなければならないのにみんなに気遣われてお別れをした。

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