神さまに選ばれた理由(わけ)
私に未来はない。
自分じゃ何もできないどころか、老いてくだけの毎日。
子供たちに車椅子を押してもらわなければならないなんて・・・・
いつもは嫌悪感さえ覚えている夫でさえこの夜は恋しかった。
だれかそばにいてほしかったのだ。
テレビドラマのようにただ手を握っていてほしかった。
そうすれば身体の震えも止まったかもしれない。
昔、母がどんなに苦しいことが自分の人生に起きても
兄さんと私のために“自ら命を絶つことだけはしない”と言ったことを思い出した。
母親がそんなことをしたら生涯まわりから言われ続けるし、癒えない心の傷を
子供に残すことになるからと。それから母は幸せなことに不幸には会わなかったと思う。
私も母を見習おう。どんなに辛くても生きることが嫌な時でも“自ら命を絶つことだけはすまい”
2人の子は私を母親に選んでくれたのだから、私は2人の幸せを守る義務がある。
楽になりたいからと言って自分のことを最優先して彼らを傷つけるわけにはいかない。

何時ごろまで眠れなかったのだろう。
窓が明るくなってきていたのは覚えてる。
でも朝はいつもの院内アナウンスで目が覚めた。
顔を洗ったが頭は重い。胸の当たりもむかむかと気持ちが悪い。
また吐きそうだ。
「夢だったらいい」と単純に思った。
昨日が消えてなくなればいいのだ。
食堂に行ったが食べれない。
今日も天気が良く、窓から差し込む冬の光はキラキラ輝いていた。
少し寝ようと部屋に戻って横になってはみたが
ねむれない・・・・・。こんなにも頭は重いのにみょーに冴えてもいる。
ベッドの上でゴロゴロしながらやりすごした。
ヘッドホンで音楽を聞くとこんな時はいちいち歌詞が目に沁みる。
9時少し前に「」おはようございます」と例の若い医師が
病室にやってきた。いつもと変わらぬ笑顔。
まるで何もなかったようだ。
「どお?」
「おはようございます」と返しながらも昨日の今日だ、何もない訳がないだろう。
「少し気分が悪いけど、気分的なものだと思う。」医者に気を使っているのか
いつもの癖でとっさにまわりに心配させないような言葉が出た。
ホントなら、大変な病気の告知を受けたのだ。それも1人で。
もっと甘えても神様は許してくれるはず。でも悲しいかな
甘え方を知らなかった。
医師は今日の検査スケジュールを確認して帰って行った。

私は今年の12月の終わり初めてこの病院に来た。
自分のバランスの悪さが尋常でないと感じて大きな病院に行ったのがさらに1年前。
でも原因が分からず、ここはそれまでかかっていた担当ドクターの紹介だ。

1年半ほど前からパソコンのキーボードを打つのが時間がかかるようになり、
さらには歩くときバランスが崩れるようになった。重いモノを持った方に
行ってしまうのだ。行きたくないのに右に持つと右に歩いてしまう。
それから言いにくい言葉がいくつかでてきた。  
おかしいと思って受診した総合病院では、「一時的なもの」だと言われるだけで
1年かかったのに症状は治るどころか強くなる一方だった。
埒があかないので「もっといい病院はないのか」と抗議したところ、
本格的な検査をということでこの病院を紹介された。

最初の外来のとき、大きな病気の疑いがあると言われた。
それから」電話で神経内科の専門医と話しながら検査のため1箇月入院できないかといわれた。
「1箇月?」サラリーマンが会社に相談せず勝手に決められる期間ではなかった。
主婦が簡単に家を開けられる期間でもなかった。
 「10日なら!10日間で何とかしてください。」気が付いたらそう言っていた。
だれにも相談せず一人で決めてもいいのか。迷惑は掛からないのか
でも、今回はそんなことを気にしてる場合じゃないような気がしたのだ。

10日で了解をとり、新年早々横浜から新幹線に乗って一人でやってきた。
ここは病院しかない。入院棟や研究棟など病院施設は大きいが
ほかにはなにもない。民家もない。あるのは高速道路だけ。
まるでサナトリウムのようだ。
病気ながらも1人で入院しにやってきたことを看護師たちは不思議がった。
それも横浜のような大きな街からこんなl田舎にだ。
横浜の方が大きな病院は多いはず。
そこへ50のおばさんが一人。
普通、入院は家族が付き添うものだと思ってるのだろう。
事実、患者が一人だけでくるのはめったにない。
それだけ遠いということだ。近場なら車で荷物を夫に運んでもらうのだが
今日は月曜日、仕事だ。
「退院の時は旦那さんに迎えにきてもらいなさよ」太った師長にいじわるく言われた。
「宅急便で荷物送れば一人で退院できるじゃないか。大きなお世話だ。」と
思いながらも顔はにっこりと笑っていた。

< 2 / 23 >

この作品をシェア

pagetop