神さまに選ばれた理由(わけ)
ある日の昼下がり「今、大丈夫?」とたくさんの書類を持って医師はやってきた。
彼がこの時間にくるのはめずらしかった。
「書けたよ」私は退院時に持って行く書類がたくさんあったのだ。
それを用意するのは主治医である彼の仕事だった。
ひととおり説明を受けそれらを受け取った。
その日彼は珍しく少し自分のことをはなした。
神経内科が専門で日々脳波とにらめっこをしている変人と。
そしてこの病院にきたのはつい半年前でそれまでは関東の
病院にいたことなど。出身は京都だという。
よく見ると屈託なく笑う笑顔がかわいかった。年齢は
なんとまだ29才という。名前は松岡俊介。
たまに顔を出す関西弁が心地よく彼の無邪気さに拍車をかけてるようだった。
「この病気の性質上、僕たちは長い付き合いになるよ。
名前ちゃんとおぼえて」
「あーら転院したらそれまでよ。長くはないわ。」
何度か聞いたし目にもしたがやっとはっきりおぼえた。
いつの間にか一人だった私の心にその笑顔はスーッと
入ってきて、笑う強さをくれた。
きっと神様がいたら辛い毎日に耐えうるように先生という少しばかり
楽しい話相手を遣わしてくださったのかもしれない。

翌日も朝は気分が悪かった。毎日のことだ。
でもだいたい午前中で治る。夜中一人はやはり耐えられないのだ。
先生も毎日決まった時間に「おはようございます」と
顔をのぞかす。具合が悪いことを気にしてくれてるようだ。
「今日はどお?」「うん。大丈夫だから」
「そういえば頼みがあるの。会社に出す保健関係の書類だけど
まだ病名はグレーにしておきたいの。今、病名出すと
みんなにバレて大事になるから。」という私に「考えさせて」と
書類を一旦持ち帰ったが、結局、「できない」と押し返してきた。
曖昧な言葉で書くとお金が絡むことなので
事務局への説明が生じたりして承認されなかたりするらしい。
「提出しないか、はっきり書くかどっちかにして」と言われた。
まったく使えない若者である。臨機応変という言葉を知らないのか。
それだけ性格がまっすぐだと言うことだろうか。

見舞金がもらえないならばと、病名ははっきり書くことになった。
総務の担当から100%なんか聞いてくるだろう、。
さあ明日は待ちに待った退院だ。
夫が迎えにくる。三時ごろという。
道路の込みぐわいによって予定は変わるだろう。
夫とこんなにメールを交わしたのは初めてだ。
夫はどんな反応を見せるだろう。
こんな病気になったことを一緒に聞いてる自分が泣きそうな気がした。l
「そうだ!一緒に聞かなければいいんだ」
そうすれば、夫の困った顔も悲しい顔も見ずに済むし、
自分の泣き顔も見せずに済む。
私は松岡先生に頼んだ。夫へ話の時は「同席したくいない」と言った。
「わかった」と今度は何も言わず素直にすぐ聞いてくれた。
こっちの気持ちをわかってのことか・・・いや~ないない。
人生の機微がわかるほど彼は歳とってない。

退院の当日、夫への話のあいだ私は病室で待たされた。
長く感じた。「終わったよ。貴重品を持って君も来て」
先生が呼びに来た。連れられて夫がいる部屋に行くと
険しい顔の夫がいた。
それでも何も言わず先生の注意事項を聞いて
お礼を言ってから、病棟のナースと同室の人にお別れを済ませ駐車場にむかった。
車から病院建家を見てるとあれほど待ち遠しかった退院も
明日からみんなに会えなくなると思うと何となくさみしかった。
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